Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

平成になっても有無を言わせず「丸刈り」~ これが神戸市公立中学校の教育方針

かつて私は、校則の厳しいと言われる京都の公立中学校を卒業しました。

 

1970年代の「平均的」公立中学校

 

 私の中学生時代は、1970年代後半。暴走族、ヤンキーの全盛時代で、地元公立中学も例に漏れず荒れていました。

 

卒業生ヤンキーが大挙してやってきて校庭で改造バイクを五月蠅く乗り回しているのを、授業中の教室の窓から当たり前のことのようにぼん眺めていました。

 

現役中学生の「眉毛をぎりぎりまで細く沿った」ヤンキー男子たちは地元の「組」の下っ端連中の子分としてその筋のヒエラルキーに組み込まれており、女子生徒の中には、今でいう「援交」「パパ活」をしていた形跡もありました。

 

その頃子供だった私には、「大人の人とつきあっているんや!」という彼女たちの無邪気な言葉の意味するところは知る由もありません。今になって、普通の生活をする事が難しい環境にいる子供もいるのだとわかるのですが…

 

そして、優しい先生方はこの中学生たちに荒れた暴言を浴びせられ、若く可愛い教育実習生はヤンキー達のセクハラの対象となっていました(お触りとスカートめくり程度でしたが)

 

一番衝撃的だったのは、よく話していていた少し闇を抱えている男子が、授業中に、いきなり前の詰襟学生服を着た生徒の背中をカッターナイフで刺した日の事です。

 

私の斜め前での出来事でしたので、私の目は刺した男子の表情のない顔と刺された男子の苦悶の表情を同時に捉えていました。

 

カッターの刃の形に敗れた詰襟の黒と、先生が急いでそれを脱がせ下の白いカッターシャツに血が滲みでている、その凄惨なコントラストがいまだに目に焼き付いています。

 

1970年代後半の、校内暴力が吹き荒れるヤンキー全盛時代にも「頭髪」に関する規定はありませんでした。ヤンキー男子中学生のあるものはツッパリのリーゼントに、あるものはヤーさん風のパンチパーマに、ヤンキーのボス格の生徒数名はスキンヘッドに、闇の深いカッター男子は長髪気味にと、各々がヘアスタイルで自由に自己表現をしていましたが、

頭髪を統制することにより生徒の逸脱した行動を制御でき得ると感じたことは一度もありませんでした。

 

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1990年代神戸市の丸刈り風景 

 

ここで、娘が2度お世話になった神戸新聞2018年1月6日の記事です。 

 

【かつて長髪の中学生男子は不良だった】

 

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(記事の本文)

かつて神戸の男子中学生はみんな丸刈りだった-。平成の世に入ってからも市立中学校の校則に丸刈り規定があったと聞き、県外出身の記者は素直に驚いた。多感な時期に、丸い頭を強いられる。全国的にも神戸は見直しが遅かったという「男子丸刈り」の風景とは。

 1990年代前半、市内の中学校の卒業アルバムは、丸刈りの男子中学生たちの笑顔であふれていた。神戸市教育委員会によると、80年代前半まで多発していた校内暴力を背景に、校外で中学生を見分けやすくするため、全ての市立中学校で丸刈りの校則が存在した

 髪の長さの基準は、教員が毛を指の腹で挟み込んだときに、指の背からはみ出るかどうかという曖昧なもの。当時の職員室や体育教官室には、学校でも長い髪を刈れるようバリカンが常備されていたという。

 そのころ現場の教員だった市教委の首席指導主事福田慎治さん(57)は、何度言っても散髪しない生徒の髪を丸刈りにした経験がある。「もちろん保護者に許可を取ってだが今では許されない。管理教育の一環だったと振り返る。

 「丸刈り」校則の見直しが始まったのは、東灘区の人工島・六甲アイランドに向洋中学校が新設された88(昭和63)年から。同校の校則には丸刈り規定がなかった。87年に文部省(当時)の臨時教育審議会の答申で「個性の尊重」などがうたわれたことが影響した。

 向洋中で頭髪が“自由化”されると、部活などで市内の他校と交流する際、同校の生徒が目立った。他校で生徒から校則の改定を求める声が上がり、向洋中から東灘区、さらに西部の中学校へと波及。阪神・淡路大震災が起きた95(平成7)年に全ての市立中学校の校則から丸刈り校則が撤廃された。

 ただ市教委の福田さんは「校則の廃止は市教委や教員の指導ではない」と強調する。教員側から議題を持ちかけたとしつつも、生徒会が主導して各校で議論。中には、生徒自身から「風紀が乱れる」と丸刈りの継続を求める意見が出たり、逆に撤廃を求める署名活動まで巻き起こったりする学校もあったという。

 その名残は現在使われている中学校の生徒手帳にも。ある中学の頭髪に関する欄には「学習やスポーツに適したもの」とした上で、「頭髪についてのきまりは、第48期生徒会によって改訂され、平成6年度より実施された」と記載される。福田さんは「各校の話し合いの過程で、頭髪の規定は少しずつ違っている」と語り、自主的に校則を守らせる動機付けともなっている。

 垂水区出身の本紙男性記者(36)は、ぎりぎり丸刈りを避けた世代。丸刈りにするタイプとは到底思えなかった先輩の頭が、中学入学で次々と丸くなっていくのを見て、小学生ながらに絶望していた。「覚悟して入学したら、校則がなかった。逃げ切れて本当によかった」と今でもほっとした表情を浮かべる。

 節度はあっても自由な頭髪で登下校する21世紀の男子中学生たち。その当たり前の風景は二十数年前、丸刈りの先輩たちが真剣に議論したたまものなのだろう。(阪口真平)

 

神戸新聞NEXT|「長髪の中学生は不良」 神戸の校則、今は全廃

 

ボランティアリーダーNさんもお手上げだった

 

覚えておられるでしょうか? 東灘区のボランティア組織「東灘子供カフェ」のリーダーのN氏です。娘の進学と卒業のお祝いでウナギをよばれビールで乾杯をした夜でしたが

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N氏に、かつての神戸市中学生の丸刈り校則のことをぶつけてみたのです。

 

「そんな滅茶苦茶な校則、よく保護者から文句が出ませんでしたねぇ・・・」

 

するとこう言ってられました。

 

「お父さんやお母さんが頑張って署名を集めたりしたんですよ。でもね、教育委員会は動かなかった。長老連中がいて、中からの改革は不可能だったみたいでね・・・」

 

なるほど、保護者からはそのような校則に異議を唱えられる方は沢山おられたのかもしれません。しかし、神戸市(兵庫県)の伝統の内申点重視により、酷い校則だとは思いつつも「内申と子供」を人質に取られ、声に出せなかった保護者が大半だったのかもしれません。

 

それはともかく、その長老たち、ひょっとして今も居座っているのではないでしょうか?あるいはそういう人たちから負の薫陶を受けた世代が今は牛耳っているとか?

 

ほんの3年前の娘在学中も、まだまだ他県から来た人間にはどう考えても許容できないおかしな校則がありましたよ。

 

例えば、こんなのとか… 

 

それどころではなく、全国規模で名を知られているではないですか。

 

校門圧死事件とか、組体操論議とか、垂水の女子中学生自殺の隠蔽工作とか、教師いじめカレー事件とか・・・

 

こんな生徒の人権をないがしろにするようなニュースを立て続けに見聞きすれば、

 

「神戸市教育委員会は組織として腐っていて改革が必要だ」

 

と、誰もがそういう結論に行きついても仕方がないではないですか⁉

実際、神戸にいる時、多くの知識人がこう言われるのを耳にしました。

 

 

次回から、私がこの目で見たブラック校則をいくつかご紹介致します♪

 

 

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