組体操というものが未だに小・中学校で強制的に行われているということに驚いているのだが、先日、地元神戸でも市長さんが果敢に中止・見合わせを呼び掛けておられたことを知った。
神戸市長・久元喜造さんのブログから。(赤字はブログ筆者)
組体操は見合わせてほしい。
2019年8月4日
神戸でも、小中学校の体育祭などで「組体操」が行われてきました。
一部の保護者が拍手喝さいし、人気があるようですが、これまで数多くの事故が発生しています。
骨折事故が、過去3年間に、123件も発生しています。
このような状況は、深刻に受け止めるべきではないでしょうか。
組体操の上部から落下したり、押しつぶされたして骨折すると、命の危険、また後遺症につながる可能性があります。
組体操をやめさせてほしい、という切実な願いをたくさんいただいています。このようなことから、私はかねてより、組体操の中止を教育委員会に求め、このような姿勢を公にも明らかにしてきました。(令和元年7月11日の記者会見)
しかしながら、教育委員会は、十分な安全対策を講じるとしたうえで、組体操の継続を決めました。
説明に訪れた教育委員会幹部は、その理由として、もう秋に向けて組体操の準備を始めており、見合わせることにすると学校現場が混乱する、もし事故が起きれば、その状況を見て、今後の対応を考えるとの立場を説明されました。
大いに疑問です。
子供は、教育員会の実験の対象ではありません。
生きた人間なのです。
子供の命と安全は、何よりも大切にされなければなりません。こうしたことから、8月2日、教育委員会に対し、「組体操が安全な状態で実施できないと判断する場合には、実施を見合わせて頂くよう」、文書で強く要請しました。
教育委員会には、これまでの頑なな態度を見直していただくよう、改めてお願い申し上げます。
また、小中学校の校長先生にも、先生方の負担の大きさにも想いを馳せていただき、真に子供たちのためになる対応を行っていただくよう期待いたします。
久元喜造市長さんとは直接お会いしたことがある。脳脊髄液減少症の重症患者の家族代表として以前、市長室で喜造さんを前に体験発表をして、切々と子供の苦しみを訴えた。その後、前回の市長選の時に近くの商店街で、再開し握手を交わしたが、さすが、灘校から東大文Ⅰの明晰な頭脳、こちらの事をよく覚えていてくださった。
その久元市長さん、神戸新聞でも組体操の見合わせを訴えておられる。
ツイッターでも。(黄線はブログ筆者)
以上の話をまとめると、おそらく、こういうことだろうか?
「組体操おける事故発生率が非常に高い神戸市において、保護者は、長年中止を呼び掛けているが、学校や教育委員会は聞く耳を持とうとしない時代が続いていた。現場の先生方は、超多忙であるにも関わらず、何故か組体操について積極的な方も多く、校長達もやる気満々である。そんな中、神戸市長久元さんが、中止に向けての要請を各方面で行ってきたが、令和になってやっと、教育委員会は、「条件付きでの実施」を承諾した。市長としては、本来の目的である「中止」を求める事は今までの状況から早急であると判断し、今年度の落としどころとして、「条件付きでの実施」を教育委員会から引き出したといえる。胸中は複雑なところであろうが・・・」
私個人の印象としては、組体操というものは、某宗教団体や北朝鮮が盛んに行うマスゲ一ムを彷彿させる、教育現場らしからぬ気配が漂うもので、おまけに、あれだけ長い時間の練習をするわりには、何の運動技能の獲得もないし、怪我や後遺症がおまけでついてくることもあるという、何の興味も魅力も教育的意義も見いだせないものである。それに、何をおいても危険すぎる。
「絶対にやりたくない、やらせたくない代物」と断言する。
事実、小学校で、病弱で痩身だった息子が、「背が高い方」だということで、組体操の一番下の段に配置され、自分の体重の1.5倍もありそうな同級生達の体重を支えるはめになった。
その際に、「根性論」を拠り所とし、そのあまりにも杜撰で物理的な安全対策を行う能力のない教員に絶望し、これだけリスクの高いことをする割には、科学的根拠に基づく安全対策が皆無であることを確信した。
現実に毎年全国で骨折者が続出しているが、これくらいで済めばまだ幸いである。
実際に、後遺障害が残る生徒もいるのだ。この「後遺障害」に入れられているかどうか定かではないが、組体操から脳脊髄液減少症を発症して苦しんでいる子供も全国に沢山いるのである。実際に知り合いにもいるし、以下のような大きなニュースになった例もある。
もうひとつ、脳脊髄液減少症の重症患者さんの秀逸なブログ「ぷうちゃんていうのう」から。
人様の大事な子供を預かるというのに、「体育に怪我はつきもの」という甘い認識で済ませないで欲しい。事前に高い確率で危険が予測されるような種目は避けるべきだし、もし仮に怪我をしても、学校がその責任を負えるわけではないということは、娘の学校事故で確認済みだ。
子供が授業を拒否することはできないのを良いことに、一歩間違えば人生が変わってしまうような危険極まりない競技をさせて何とも感じないのであろうか?正常な感覚なら、そんな恐ろしい事をよその子供にさせられないと思うのだが・・・
少なくない反対の声に耳を塞ぎ、どうしても子供を危険に晒したいと言うのなら、それに伴う負の結果も全て引き受ける覚悟を関わる全ての大人たちに持って頂きたいものである。
そんな危険を伴うことをしなくても強い身体は作れるし、協調性や忍耐力も、そんな「根性論の権化」みたいなものに頼らなくても、もっと子供の心を豊かにするような優しく美しい分野で幾らでも培う事はできるのだから。
【今回の教訓】
それにしても、あの頭がキレッキレの久元市長が、「子供の命の安全を願う大勢の保護者の切実な声」を背負って何度も組体操中止をお願いしても頑なな態度だったらしい神戸市教育委員会。
一介の庶民(私)が、「学校事故で悲惨な状況にいる私達を助けてください~!」などと訴えても、そりゃ、動くわけないわな・・