Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

ホスピスからの最期の五山送り火

8月16日、昨夜の台風が嘘のような澄んだ夜空である。京都人にとって特別の日の夜は、母のいる京都市中京区のホスピスで過ごすことになった。ホスピス入院から2週間が経過したところである。

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ここに来た時は、余命ひと月。夏を超すことが難しいと言われていた。骨と皮になり、黄疸で顔は黒くなり、足は4倍ほどに浮腫み出した。心臓の機能も低下甚だしい。

 

「まだまだ生きたいんや」「自分でできないとだめになる」と言いながら、介助の手を払いのける気丈な様子を見せていたが、ここ2、3日は夜の痛みの発作に見舞われ、随分気持ちが弱ってしまった。

昨年2月の時点で胃を2/3切除、大腸、膵臓浸潤、腹膜播種で、余命3カ月~半年と言われていたが、現在でちょうど1年半である。

 

昭和8年生まれ。10代の頃に信州の田舎から京都の叔母のところに養女に来て以来、70年ほど五山の送り火を毎年目にしてきたと思う。

 

昼は元気にしていたのに、夜の7時頃に病室に入ると、ベッドに腰かけてお腹を押さえてうずくまっている。痛みが強く、寒気がするため、電気毛布を借りる。痛みには「モルヒネ」の量を多くして対応してもらい、少し落ち着くが、いつもの気丈さは消えてしまった。

 

看護師さんが、「8時に点火されますから、もしご覧になりたければベランダまでベッドを移動させますよ!」と言ってくださる。送り火を見るのが今回で最期となる人間への暗黙の最大限の心遣いだ。

が、あまりにもしんどすぎる母はそれを断る。残念だが、KBS京都の実況中継を付けてそれを見るように勧めた。

見舞いに来た娘や孫たちは、交代に母を見ながら、ベランダに出て京都市内の中央からの送り火を鑑賞した。

 

8時に点火。5分おきに、色々な文字や形が漆黒の山肌に浮かぶ。ホスピスからは、ビルの谷間に如意ケ岳の大文字が、徐々にくっきりと赤く力強い「大」の字を描き出すのが見えた。
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赤い火の文字に、徐々に暗い部分が増えてきたので、一度病室に戻るが、「また見えてるよ!」の声に、もう一度ベランダに戻ると、「鳥居」が西北の山の下の方にくっきりと浮かび上がっていた。

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病室に戻ると、母が動いていない。お盆にこの世を訪れた亡霊たちが帰途につく今夜、連れていかれてしまったのかと、はっと思った瞬間、手が動いた。

最近、亡くなった人たちの夢を見ると言う。1年ほど前に亡くなった、ずっと年上で小さな母の世話をしてくれたお姉さん。九州の五島列島の優しい姑さん。その人たちが、夢の中で、微笑みながら名前を呼ぶのだと言う。

 

ホスピスの医師は、超現実主義者のようだ。「多くの患者さんが、亡くなった親族や可愛がっていた動物が、ベッドのそばに来ているというのですが、それは譫妄(せんもう)を起こす成分のある薬のせいなのですよ」

 

しかし、私はそうは思わない。譫妄ならば、自分を大事にしてくれた人や強い絆で結ばれていた動物ばかりが出てくるとは思えないからである。薬の見せる幻覚は、怖い物が多いし、悪夢もつきものなのだから。

 

もう間もなく「この世界」と別れを告げる人の元へ遣わされる人や動物は、病に苛め抜かれた肉体から解放され、突然苦しみが消滅したことに戸惑っている魂を優しく包みこんでくれる。

そして、安らかで心地良い光溢れた世界へと、子供のように小さくなった母の手を取って、導いてくれるものであると信じたい。

久しぶりに寄り添った魂が、心惹かれる方角へと・・・

 

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