Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「英語スピーチ」は記憶の底に沈める

英語スピーチをする機会はもう一生、娘には訪れることはないと思っていた。

 

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娘は本来、中学で沢山の英語スピーチコンテストに出て、そこで自分を成長させる沢山の素敵な思い出を作り、その英語力を買われて神戸市の中学生使節団の一員として、姉妹都市のオーストラリアのブリスベンに派遣され初めての現地の英語に触れるという貴重な体験をしていた・・・はずっだった。

 

そして、高校は神戸のそこそこ難関の公立高校に通い、受験の終わった今頃は、「トビ立てジャパン」の2023年度留学生派遣の一員として在学中に短期留学をしていたか、今この瞬間には出発間近に迫る初めての留学に心をときめかせていただろう。

 

それができなくなってしまったのは、中学1年2月の体育時の事故で時が止まってしまったこと。

娘が昏睡したように眠り続ける間に、英語で自己表現して実績を積んだり海外に派遣されるなど実に多くの機会が失われてしまった。

 

スピーチコンテストに関しては特に摩訶不思議⁈

中学に入学してから事故に遭うまでの間に、他校の普通の中学1年生が普通に出場していたスピーチコンテストが幾つかあったのに、娘にはそのチャンスが与えられなかったということを数年後になって知る。

 

英語課主任でもあった担任のセンセーの「教育的配慮」として、「上の学年の2年生や3年生の生徒を差し置いて1年坊主を学校代表として出すなんて許せない!下積みを経験しろ!」などと、この方のマイルールでそう思われたのかな?

 

仮に、娘は出してもらえなくても上級生の方々が参加して、良い思い出作りや内申upの材料(神戸の高校受験は内申を超重視)にでもされていたらまだよかったのだけど。

 

酷いと感じたのは、あるスピーチ大会などは、それに相応しい英語力のある上級生がいなかったにも関わらず、娘にはなんの打診もせずに独断で「当校では該当者なし」として、結局誰も参加しないということもあったことが、他の先生が口を滑らせたことから発覚。

 

そこまでして、娘が英語で経験を積んだり賞を貰ったりすることを阻止したかったの?(´Д`)?

 

娘は毎日英語の授業でもホームルームでもこのセンセーに接していたけれどスピーチコンテストの話など一度も出ずに完全にスルーされていた。

 

後で神戸市の他校の英語の先生にこのお話をしたら「信じられない…普通ならクララさんにお願いしてでも、(学校のために)出場をしてもらいますがね」と絶句されていました。

 

一体、何がそこまで「娘封じ」の執念に駆り立てたのだろうか…😱

 

とは言っても、学校事故で寝たきりになった日々はスピーチコンテストどころではなかった。

後からこの担任のセンセーに娘の名誉に関わる大事な件で嘘をつかれていたりしたことも分かったりもして、もうなんだか笑っちゃうほどの意味不明で理解不可能な言動をされていたので、今更この不可解な娘への対応を理解しようとする気すら起こらない。

 

得意な分野で生徒に自信を持たせる機会を作るのが先生の大事な役割なのに、そんな温かさは感じられず、以前の記事にも書いたけれど、娘は授業中でも一人だけ発言を禁じられるパワハラを受けてもいた。

 

いやいや、5年という月日を経て、あの頃に娘の受けた表での裏での嫌がらせと妨害を思い出すにつけ、娘は実によく我慢したなぁと感心してしまうほどの陰湿さだと改めて感じる。

 

もしも、これらの対応が、この担任のセンセー主導ではなく、夏のプールの見学の女の子達を炎天下で立ったまま見学させたりしていた体育科出身の脳筋校長センセー(娘の事故後1度も現れず、こちらは顔も知らないまま教育委員会に栄転された人)の指図でやっていたとしたら。。。

 

学校事故後の学校側の対応は面白いほど辻褄があってしまう💦

 

以上、「英語スピーチ」というお題に反応して、かつて「娘潰し」に血道を上げられたセンセーを懐かしく思い出してしまった。

怒涛の5年間を娘と共に過ごした身としてはもうどうでもよいことだけど…

 

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そうして、高校受験もできず、無試験でインターと名の付く学校に入るしか行き場がなかった娘には、もう英語スピーチと名の付くものを行う機会は無くなったと思った。通常の高校生向けの大会はインターの生徒は参加不可だろうし、他に探せばもっと難度の高い大会に参加できる資格はあったかと思うが、学校生活を生き抜くのに必死でそんな余力をもった高校生活ではなかったので完全に諦めた。

 

なので、中学時代の未だにどす黒い部分の残る思い出とともに、ライトの当たる舞台で晴れ晴れと英語スピーチをする娘の想像の姿を、今後一切思い出すこともない記憶の底の深い部分まで沈めてしまったいたのだ。

 

それが、最後の最後の局面に、天が娘と私に大きな贈り物を送ってくれた!

 

 

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