Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「死」と「再生」~ 脳脊髄液減少症の星野希望さんの記事から

星野希望さんからは、3年ほど前娘の脳脊髄液減少症の症状がすごく悪い時期に励ましのメッセージを頂いたのです。

 

それから、私も星野さんの事は何度か記事にして読者の皆さんと星野さんの音楽活動を共有することで、その生き方や思想に対して感動を共にしてきたという経過があります。

 

昨日、知り合いの患者さんママから教えて頂いたのですが、9月18日のヤフーニュースに星野希望(のぞみ)さんのことが取り上げられていました。

 

news.yahoo.co.jp

 

その中で引用されていた星野さんのエッセイが大変心を打つものであったのでここに紹介させて頂こうと思ったのです。

 

死ぬ気になればなんでもできるという意味、死ぬ直前まで追い込まれてやっと理解したから、『死ぬ気』が私には必要だった。私の場合、事故で難病を発症したことをきっかけに、「これまで通り普通に生きること」ができなくなってしまったのです。

 

生き地獄の状況まで追い込まれ、今まで通り生きることができなくなった場合、人は2つの考え方をします。 1つは命を断つこと 2つは現状を「何とかして生きられる状況にすること」 初めは、命を断つ事を考えました。 「苦しさから逃れるには死ぬしかない」そういった考え方です。

 

本当は死んだほうが楽になれるのはわかっていたけれど、いざ死ぬ準備をした時、未練がたくさんあって私には死ぬことができませんでした。もう一歩というところまで(未遂)を何回か繰り返して、結局諦めて今に至ります。

 

さて、命を断つことができなかった場合、もう一つの選択肢として、「何とかして今を生きられる状態にすること」、これが選択肢として残っていました。 ここから私はたくさんのことを考えます。 「今を生きられる状態にすると言うことは、ただものでない力じゃなきゃ生きることができないな。」 ……そのただものでない力、原動力を出してくれた言葉が、「死ぬ気になれば何でもできる」でした。 私にとって『死ぬ気になればなんでもできる』という言葉は、『あの時死んでいたと思えばなんでもできる』って意味として自分の中で大切に温めています。

 

今を踏ん張りたい時、今を投げ出したい時、勇敢に立ち向かおうとする心も、正反対に自暴自棄な心も。 全てを「死ぬ気になれば何でもできる」に委ねることで、難病寝たきり、生き地獄の症状の中でも、生きることができるようになりました。

 

「どうせ死ぬんだからやりたかったことやっておこう。」……これらの考えによって、今できる範囲内の夢のほとんどが叶うこととなります。 夢がひとつひとつ叶っていって、そうなっていくと、不思議と生きる希望が湧いてくるのです。 やりたいことができていくことが生きる希望を形創っていくのです。 何も先の事は考えず、今だけを考えて死ぬ前にやりたくてもできなかった未練を一つ一つクリアしていき、気がつけばたくさんの音楽作品や文章作品ができていきました。 ……これが私の生きる道です。

 

もうこの部分を読むだけで心がジ~ンと痺れたようになってしまいます。

その壮絶な人生から直観的に導き出された「生きるという事の神髄」を若くして会得されてこられたように感じます。

 

「思いが強ければ何でも実現できる」というのは、スピ系ではまことしやかに述べられているおそらく物事の法則の真理だとは思うのですが、星野さんはまさに生死の狭間の立ち位置・・・心が死を迎えていた状態から、肉体を取り戻すことへの執念や諦念を既に超えた次元で、「今こうある自分」が生きて行くための再生の道を見出されたのでしょう…

 

星野さんのこれらの言葉は、何も重病で肉体的精神心的な危機を経験した人のみではなく、様々なことで「心の死の影」を感じた人へのメッセージでもあるととれます。

 

大切な人を失ったり、学校や職場でひどい虐めを受けたりするなど深い心傷を負って心の機能が停止しそうになり、この苦しみを逃れるための死への誘惑に自分を持っていかれそうになった時・・・星野さんが死線の淵から「一度死んでいるのだから再び生きてみよう」という決意をして戻ってこられた経験から語られたその言葉、実際に成し遂げられてきたこと、彼女が作ったあの美しい音楽を思い出して欲しいのです。

 

 

「死」があるが故に生まれる「再生」

 

人生、万事うまく流れている限りは、生き方が変わるような「再生」はなかなか訪れません。「死」という言葉に象徴されるが如く、それまでの人生が破壊されるような辛い試練を受けることで、今までの自分が成し遂げ得なかったような人生、思いもしなかったような新たな道が見えてくるものなのです。

そう考えると、「死」は「再生」の為には通らねばならないものであり、それを「死=悪いもの(この場合は再生のための必要悪)」という善悪の二元論では認識するべきものではないのかもしれません。

 

それにしても、星野さんの文章も人に読ませるものがありますね・・・

これだけの体験を乗り越えられて来た方の真実の体験から出る言葉は魂から発せられているかのごとく、読む者の心にストレートに突き刺さりそこで響き渡ります。

 

そう思ったら、なるほど、星野さんのこれからの夢の中の一つとして語られていました。

 

-------------  星野さんに、今の夢を聞きました。

 

「私の令和4年夏、現在の夢はこの5つです。

私は、書の個展を開いてもらいたい。

私は、エッセイを書籍化してもらいたい。

私は、作った曲をCD化してもらいたい。

私は、作った曲の楽譜を出版してもらいたい。

私は、『ひかり』の曲を夏川りみさんに歌ってもらいたい。世界中の人にも歌ってもらいたい。」

 

星野さんなら、絶対に全て叶えらる気がします‼

だって、星野さんの本を読んでいる沢山の人の姿が、夏川りみさんが星野さんのピアノに併せて『ひかり』を歌ってられる姿が、まるで目の前で見ているように心で映像化できるのですから。

 

「私は~したい」

「私は~できます」

 

まず、自分でこのように確固とした願いを文字化すること、特に、絶望的に追い詰められ魂が断末魔の悲鳴を上げているような時にそう誓うことが、自分の生きる道を形作っていく基本なのだということを今回の星野さんの記事から再認識させて頂きました。

 

それはあたかも、「音楽や動画の再生ボタンを自分の意志で押すことで、そこからは自分が望んでいた音や映像の世界が現れる」というイメージと同一に捉えることができますね。

自分が望む世界への再生ボタンを押すという行為の裏には、「それにより自分の望む音、映像、それらの持つ世界観の中で自分が生きる時間がやって来るのだ」という100%の確信があるはずなのです。

 

再生とはそのような意志の仕組みで現れる世界なのだ、と思った昨夜のひと時でした。

 

 

 

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