先週金曜日は毎度の如く、学校帰りで頭痛も出ており疲れ果て眠りながら京都市の自宅に戻った娘です。ひと眠りできたのでその夜は課題の締め切りがあると、何やら遅くまで取り組んでいました。
土曜は、これも毎度のように昼過ぎまで泥のように眠った後、やっと起きだして一日の活動を始めました。午後はご飯をゆっくり食べて、このところ敬遠気味のお風呂に入ったりして過ごしました。
夕方には、平日は余裕がなくて全く行けない病院と治療院を梯子で訪れ、夜になって課題のエッセイやレポートを書いていて、途中で寝落ちしてしまったということでしたが・・・
日曜はいつまで経っても起きてこないので、12時過ぎに声をかけると、「頭がすごく痛い・・・」と言って起きられません。久しぶりにバイオリンのレッスンを3時半に入れていたので、こちらも焦って「どうするの?行けそうにないの」と聞いたところ、「今日はキャンセルして欲しい」と、消えるような声で言うのです。
キャンセルするなら早い方がいいと、すぐに先生にラインを入れて日にちを変えて頂きました。約束を果たせず非常に心苦しいこの気持ちは、覚えがあります。眠る娘の顔を見るめながら沸き上がるこの切ない気持ちは・・・
中3の特別支援学級の訪問授業を余りの体調の悪さに何度かドタキャンせねばならず、鬼母になっていた自分や絶望的に悪い体調に娘も苦しんでいた丁度2年前のあの頃の物狂おしい気持ち髣髴とさせるものなのです。
今は、鬼母に変身することはありませんが、「あぁやっぱりまだ治っていなかったんだ・・・」という一抹の失望感、空虚感は、意識下に押し殺しておくのは難しいところではあります。
漢方を飲ませても頭痛がひかず、「起きていたら痛い・・・」と、2時頃になっても半眠りを続けているため、これは頭痛薬を飲ませようと思っても、ロキソニンは学校近くのアパートに置いてきてしまったためありません。近くのドラッグを梯子しましたが日曜はどこも薬剤師さんがおられないためロキソニンは買えず。
代わりにイヴプロフェンを購入しましたが、飲ませたところロキソニンほどの切れはなく、1時間ほどしてやっと起き上がれる程度にはなりました。
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あの頃の物狂おしさが蘇る
今日は、気圧には全く問題はない一日だったのですが、思い起こせばあの頃も気圧に関係なく頭痛は起こっていました。
低気圧の時は、頭痛だけでなく脳が沼の底に沈むような大不調に捉われ、意識を失っているような眠り方をしていていました。超重症時よりかなり回復した中学3年になっても、ある低気圧の日は夜の8時まで目覚めず、少し食事をしてまた眠ってしまいました(1日23時間眠る)。この日は整体をキャンセルした雨風の強い日でありその時の暗い感情がそのまま蘇ります。
その時期も訪問授業の時以外はずっとベッドで横になって昼でも熟睡していたり、ちょっと何かをしてまたうつらうつらとしていましたので、強い頭痛がある時も眠ることで対処していたのだと察します。
実に色んな頭痛がありました。強い起立性頭痛、そして今日のような強い頭痛、低気圧の頭痛。程度こそましにはなっていますがやはり現存していることが昨日のような日には嫌でもわかってしまいます。
今は、「決まった時間に決められた行動をとる」という健康な人なら当たり前の生活に少しでも近づこうと無理をしていますが、やはり最近のように読んだり調べたりする課題が増えた分、脳が悲鳴を上げげているのかもしれません。
普通の子供なら、「ちょっと頑張ろうか!」くらいで済ませられる質と量の課題なのですが、脳疲労の限界値の低い娘にはすぐにオーバーワークとなり頭痛だけでなく体調がが破綻してしまうのです。
今も続くこんな生きづらさを娘に背負わせたのはあの日の学校事故。その当事者たちに、この不自由な娘の生活をどう思うのか問いただしてみたい衝動に久々に駆られます。
因みに娘はと言えば愚痴もこぼさず、晩から課題をいそいそと無我の境地(?)でこなしておりました。
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