昨日の娘の発表会、直前で左手が動かせなくなっていた娘でしたが、3日半の安静の後、何とか西宮芸文の舞台に立つことができました。ご心配頂いた方、有難うございましたm(__)m
その模様は編集ができ次第伝えさせて頂こうと思います。
さて、翌日の今日ですが、一気にモードを変わり、今朝は神戸簡易裁判所まで昨日の華やかな空気の西宮を通り越して電車で遥々向かいました。
今日は調停の6回目。
何故か今回はいつもの湊川神社参拝を後にして、駅から裁判所正面に続く道を歩きました。この角度からだと威風堂々の趣がありますね。
前回の調停員の先生の予告どおり、和解案の金額提示が書かれた紙が本当に準備されていました‼
まず最初に言われたことは、「階下の工事と健康被害の因果関係を認める」というものでした。
訴訟なら(一部)勝訴といことですよね?
相手の嘘と闘いながら、やっとこちらの真実は認められましたが、調停というのは双方の譲歩により和解に導くというのが目的のため、金額は請求金額の半分にも満たない60万円というものでした。
当時こちらが自腹を切った出費より少ないものでちょっとがっかりです…
私たち被害者は事件発生の日から3か月もの間、当事者である工事会社、雇い主の階下の食料品店、家主に相手にされず、ジプシーのように彷徨いました。術後10日ほどの息子を抱えながらです。
各方面の公共機関に相談をしても解決策は得られず、本当に辛い思いをしたのです。そして大金をはたいて引っ越し費用も自分持ちで、あの思い出の多い部屋を泣く泣く離れました。
そういう様子をご存じのT弁護士先生は、慰謝料としてその苦労を金額に載せてくださいましたが、半分も認められませんでした。
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金額詳細公開
その結果がこれです(今出してもいいのかしら?)
一番右の縦の数字欄が調停和解案です。
空気清浄機と弁護士費用以外の項目は、額は減らされてはいますが一応認められています。
※空気清浄機は、VOCを(揮発性有機化合物)を除去する機能はないからだめだということです。
※弁護士費用というのは通常調停では自分持ちであるためダメ元でしたが認められませんでした。
慰謝料は半額以下でしたが、これは交通事故の通院等の基準で換算されているということです。精神的にどれだけ苦しんだかは考慮されません。
ここまではいいとして、納得いかないのが、「転居の必要があったとは100%認められない」ということから、「転居費用」のうち、引っ越し先マンションの礼金やその他雑費が認められず、これが約25万、まるまるこちら持ちになってしまったことですね。
ここのところは調停員の間で意見が分かれたということですが、2か月経過しても入った途端に身体に異常が生じるような部屋に子供を戻せる親がどこにいるでしょうか?
3人のうち、一体どの人が反対したのだろうかと、しみじみお顔を見ながら不満を述べてきましたが、急な事で納得できるような説明ができたとは思えず自己嫌悪です。その後、T先生が最も至極な理由を代弁して下さったので少しは留飲を下げることができましたが…
私たちの後は、相手方の弁護士が調停室に入っていきました。あちらはあちらで「こんな金額無理だ」と言ってらしたということ。20~30万で収めたいようですが、来ていたのは代理人の弁護士だけでしたので、持って帰って考るということです。
しかし、つくづく思いました。
調停と言えども、余程の金額が動くものでなければ労力に見合うものものではない、と。
今回のように、例え、相手方が和解金60万に同意したとしても、弁護士費用がおそらく20~30万となり報奨金も生じます。だとすると、実際に手元に残る額は請求の半分以下(⁉)になってしまいます・・・
数十万くらいのお金のために1年もかけて資料を探したりまとめたり、何回も裁判所まで足を運ぶ労力と時間を考えるとやる意味はあるのか?という気持ちにもなってしまいます。
娘の学校事故のように訴訟をする事の意義を問うようなものでもないため、最後になって全体像を眺めると、「法律の下であるとしても人と争う事はしんどいものだなあ」としみじみ感じるのです。
そして、今回はこちらの主張が認められてこれなのです。
ここでもやはり弁護士費用がネックとなりますが、弁護士保険などに入っていないと、このような事案では争う意味があまりないのではという気になりますね・・・
皆様も今後、こういうことがあった場合のご参考になさってください(ないことを祈りますが)
私たちの場合ですが、今回は幸い、当時入っていた火災保険から30万円までの弁護士費用が出るようですので(おそらく)助かったのです。
意外な事ですが、本来なら娘の学校事故の弁護士費用も30万までは出るはずなのです。しかしながら、同じ年度に1度だけしか支払われないという決まりがあり今回は無理でした。
なので、今回の「毒部屋案件」で勝ち取れた金額はそのまま軍資金として、娘の学校事故訴訟費用の一部に充てることになります。
2017年度というのは、このように良い事も悪い事も不思議なほどの当たり年でありまして、春には娘の鮮烈なブレイクがありその余波が夏、秋まで続き、夏には「毒部屋案件」で部屋からを追い出され、冬にはあの「学校事故」に見舞われました。
あんな忙しくインパクトの強い年は、もう金輪際来ることはないでしょうが、私も娘もその後の生き方を変えられるような、色んな課題を投げかけられた実に不思議な年だったのです。
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