Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

何のための訴訟をするのか? ~ 「謝罪?」「賠償?」「名誉回復?」「社会的意義?」

学校事故の訴訟の準備をしています。今年2月末にに3年目となるため、半年間の時効延長をしました。

 

時効終了が近づくにつれ、数々の大きな不安が募ってきており、この件で以前相談に乗って頂いた学校事故に詳しい方に久々に連絡を取ってご意見を伺ってみたのです。

 

そうしたら、「感じておられる不安はもっともな事であり、その調子で行くとおそらく訴訟はうまく進まないと思う」と断言されました。

 

その他、実際に訴訟を経験された方や、間接的に脳脊髄液減少症の裁判を知ってられる方々の持たれる印象もそのようなものだったのです。

 

「不安な事」とは複数あるのですが、そのうちの一つは以下のようなものです。 

 

「謝罪」が欲しいのか?「補償」が必要なのか?それとも・・・

 

娘がああいう目に遭わされて、謝罪の言葉を聞かぬまま社会的に死んでいる状態の日々が続いた時は、

 

この娘の無念を晴らす事=訴訟に勝って娘に直接謝罪をしてもらう

 

という気持ちで、弁護士さんの元を訪ねました。

 

でも徐々に、この3年間以上の間に謝罪をする気持ちのない人達に、仮に裁判に勝ったとして、あちらの意にそぐわない心のこもらない謝罪をしてもらっても、娘の気持ちは少しも救われないのではないか?」という気持ちが強くなってきました。

 

私的にはもう謝罪などどうでもいいから、こちらの今までの損害実費の賠償、そして娘が安心して治療を受けられるよう今後の治療費の補償と可能ならば娘が失った事への相応の慰謝料もらえればそれでいい、くらいの安易な気持ちを抱くようになっていたのです。(勿論娘の気持ちはまた違ったものではあるのですが・・・)

しかし、その治療費の賠償と今後の補償すら難しいというのが現実です。

 

何故だかいつも不思議ですが、娘はあれほどの損害と心身の傷を被っているにも関わらず、損害賠償の請求額は他の被害者の方々と比べて随分低く見積もられている気がします。

 

他の方は子供なら2千万~、いじめによるPTSD事件では1億2千万というものもあります。大人なら4、5千万~という賠償請求を掲げて訴状を出されるのに、なぜか娘は当初は「数百万」という、ちょっと歯や腕を折られたとか、夫婦の間で浮気をされたとか、そういう場合によくある賠償請求額にしかならないのかとても不思議でした。

 

でも、弁護士さんがそう処理されるならもうそれで仕方ないのかと、おそらく弁護士なら誰もが嫌がる「学校事故」と「脳脊髄液減少症」のコンボの案件なのだから贅沢は言えないとそれに従ってます。

 

仮に安易に引き受けてくれる弁護士さんがいても、勝つための仕事もろくにせずに数百万の弁護士費用を取られてしまった患者さんも何人もおられることを聞いています。そのような悪徳弁護士ではなく、きちんとした事務所の先生がこのような厄介な案件を引き受けてくださったのだから、ちょっと遠慮をしてしまうところはどうしてもでてきてしまうのです。

 

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結局手元に何も残らない可能性が高い

そして、最近目にした弁護士さんの予定しておられる賠償請求項目を見る限り、やはり700万から800万くらいの賠償請求額で始められるつもりなのだとわかり非常に落胆してしまいました。

 

因みに、殆どの脳脊髄液減少症訴訟は敗訴となります。勝訴(?)で一部請求が認められても三千数百万円の訴訟で300万しか払ってもらえないというような程度の金額になってしまいます。(実質は敗訴)

事故と体内の髄液漏れの因果関係の立証は、相手方の悪徳医師の暗躍により非常に困難にさせられているからです。

 

事故直後に病院に行って、画像検査で髄液漏れがはっきりと確認され、起立性頭痛が発生しているなどの症状がカルテに記録されないと、なんやかんやと理由をつけられて「因果関係なし」と判断されてしまうのです。

 

画像証拠や医師の意見書がしっかりしていて裁判長が偏向なく情のある方の場合、和解で800万~1000万(元の賠償請求額が数千万の場合)となることがたまにあるくらいだそうですが、これも例外中の例外だと言われています。

 

事実、周りで見聞きする例は、裁判官は血も涙もないのか?というような無情な負け判決ばかりが累々と積み重なっているのが現状なのです。

 

もともとの請求額が異様に低い娘の案件の場合、運よく和解に持ち込めてもおそらく今までこちらが負担してきた医療費や交通費、病気関連の書籍費といった実費分しか認められず、今の請求額の半分か3分の1くらいの200万円、よくて300万くらいでの和解成立となることが予想されます

 

もしも、裁判官が大当たりで、万一、一審に勝ったとしても、相手方(損保会社)は必ず2審に持ち込んできますが、こちらは2審まで続けられる財政的体力がないため、恐らく和解に持ち込むことになります。

 

別の大きな問題である「弁護士費用」に関しては、交通事故の被害者の方は弁護士特約で300万まで使える方も多いのですが、学校事故被害者の場合はそれは望めず、自腹を切るしかありません。

 

加害者側の弁護士費用は保険で補償され、賠償命令が下っても全て保険会社の支払いとなり、一銭も身銭を切らずに気楽に訴訟に臨めるというのに、被害者はどこまで痛めつけられるのだろうと呆気に取られてしまいます。

 

そして運よくやっとのことで和解金(200~300万)を手に入れたとしても、弁護士費用を払えば(周りの経験者は200~300万の方が多いです)、手元に残る金額は無いも等しいという結果になってしまいます。

 

ただし、完全敗訴になるとは私は思っておりません。弁護士さんの力量にもよりますが、全体を見てみると余程悪い裁判官に当たらない限りはそうはならない気がするのです。(「それは甘い考えだ」と言われる場合も多々ありますが…)

 

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「私ならやめておくと思います」

 

上記の理由から、被害者が子供のため、本人の休業補償などが入れられず賠償請求額も低い上に滅多に勝てない学校事故の被害者は、裁判をするだけ無駄だと諦められる方も多いです。

 

実際に、こんな少ししか賠償が得られないのだとしたら、本人も家族も気持ちを切り替えて、過去の悪夢は忘れて前を向いて生きて行く方がよいのかもしれません。

 

PTSDを抱える被害者が、本人尋問の場に立って辛い記憶を掘り起こし涙の訴えをしても、それで敗訴となってしまったら、傷口をさらに抉るような結果になってしまいます。 

なので、この相談を持ち掛けた方はこうはっきり言われました。

 

「手元にそれだけしか残らないのなら、被害者でPTSDもある子供さんを法廷に引っ張っていくことはどうなのでしょうか… 学校事故では相手はえげつない尋問を浴びせてきますよ。私なら訴訟自体をやめます」

 

そして更に、

「何のために訴訟をされるのか? 経済的損失の賠償をしてもらいたいのか、被害者である子供さんへの謝罪を求めるのか、娘さんの名誉を回復したいのか、それ以上のものを社会に訴えかけたいのか、それをもう一度よく整理される必要があると思いますよ」

 

というような「叱咤」ともとれる問いかけをされたことで、日常の雑事に紛れ目先のことに捉われすぎていた私は、以前は確かに見えていた大事なものを見失いかけていたことに気づいたのです。

 

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『最後の審判』Giotto di Bondone 14世紀

 

 

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