(前回予告した「娘の嬉しい変化」を2回に渡ってご報告いたします)
私が娘の学校まで歩いたのは今までに数回だけ。
ほぼ2年前に学校見学に一人で来た、暑い夏の日。最寄りの駅から日傘をさしながらとぼとぼと20分ほどの道のりを静かに歩いていた。
「遠いな …」
その頃の娘には確実に無理な距離だと感じた。
そして入学が決まり、駅から3分のところにアパートを借りてここから、自転車で5~6分ほどの通学を始めたのがちょうど1年前の6月、コロナのリモート授業が明けた時だった。
何度も自転車で付き添い、雨の日の体調の悪い時はタクシーも使ったりしたこともあった。
歩けば、15分ほどの距離だが、娘には何倍もの遠さに思えていたことだろう。自転車なしでは通学は無理だった。
1人で行って一人で帰って布団に倒れ込むという毎日が定着し、卒業までずっとこのままだと思っていたら・・・
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秋から冬にかけては帰る時間が少し遅くなっていた。
2月のある日、いやに遅いなぁ、と心配してアパートの廊下から下を覗くと・・・
下の駐車場にたむろしている女の子の一群が見え、その中に娘がいた。
行きは自転車に乗り、帰りは集団の中で自転車を引いて帰ってきているのだとわかった。
かつて寂しそうな時期が長かったから、楽しそうな様子がすごく嬉しくて、思わずパパラッチしてしまった …(お友達スミマセン)
でも、「自転車があると不便そうだなぁ」・・・と思いながら見ていた冬のある一日だった。
「歩く」わたし
そして、無事に春が来て4月の新学期になった途端、娘は「私、歩く」と言い出した。
15分の距離を荷物を背負って、バイオリンも持って行く日もあって大丈夫か?と心配した。しかし、重い本類は学校のロッカーに置けるし、しんどい時は友達が助けてくれるというので試してみることになった。
最寄りの駅から降りてアパートの前を通ってゆく友達の群れにタイミングを合わせて合流する。
男の子もいる高身長集団の大きな歩幅、歩き慣れた速いペースについてゆけるか、無理をしていないか、頭痛で顔を歪めていないか…
心配でたまらない…
ある日の朝、「ちょっとコンビニに行ってくるから~」と先回りをして、通り道近くの交通量の多い車道の反対側の歩道の電柱の陰に待機。そこからキャッチ、観察、スマホの望遠で激写に成功。(完全にパパラッチと化している)
おぉ、娘、先頭を切って歩いている。何も話していないようだが、黙々と大きな歩幅で歩き集団の一員となって進んでいる。
速い速い… あっという間に集団の影は小さくなっていった。
「歩く娘」ー なんてカッコイイのだろう … 感動でしばらく電柱の陰で固まっていた。
私は歩く 自分のこの足で
未来の希望へ つながる場所へと
朝のかそけき光のなかを 颯爽と風を切り
地面を踏みしめ 視線は常に前へ前へと
捉われの日々から 遠く離れて 幸多き時間の元へ
これが今 「歩く」わたし
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