今日3月19日は今年度最後の登校の日となりました。
同時に期末試験の最終日ということもあり、娘は夜遅くまで(と言っても11時くらい)
試験対策をし、今朝はいつものように8時くらいに起きて学校に向かいました。
テスト返しや、終業式などはないようで、今日は2時に下校してから友達とファミレスで打ち上げをするらしいです。
試験問題を見ても私には(英語が)難しすぎるので、勉強に関しては初めから放置しています。
成績は、見たくなくてもメールで直に送ってくるので、つい見てしまっていますが、とにかく、途中で学校を去ることなく最終日の今日を迎えられたことでで本人も私も大満足なのです♬
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昨年の今ごろは・・・
昨年の17日が、院内学級の卒業式でした…
卒業式の模様を描いた2つの記事と次の第二部終了の記事は、1年ぶりに読んだのですが、正直、涙腺崩壊ですね。先生方、素敵な記憶を頂きありがとうございました。
親として、娘が落ち込んだ闇から明るい世界へと引き上げてやろうと、精神的には文字通り七転八倒しながら苦闘した日々の集大成でした。
ブログに書けないような苦労と努力もありました。今、自分に「ご苦労様だったね」と、初めて労ってあげたい気持ちになっています。
そして、親としての努めは、この卒業の時で実質終わったのだろうか・・・とも感じました。この後に来た学校社会への復帰は、娘が一人で努力し耐え抜いてきて、私はただ横で傍観するのみでしたから・・・
そして、卒業式から一夜明けた翌日、つまり、一年前の3月18日近所の路地の角にある「くび地蔵様」にお参りをして、無事卒業式ができたこと、そして、行き先の高校が決まったことのご報告とお礼をしました。
初めてみた時はギョッとしたご尊顔です。夜、仕事に行くときはいつもここの角を曲がり、灘高校グラウンド横の坂を下り魚崎の方に自転車をぶっ飛ばしたものです。
お願いをしたのは、この「くび地蔵様」だけではないのですが、諸所の神様、仏様、そして読者様にもお見守り頂き、お陰様で娘は無事1年の高校生活を終えることができました。本当に感謝しかございません‼( ノД`)…
同日に摂った写真。娘がバレエを習い始めていたカルチャーセンターの壁を覆う黄色と紫の花。
「人生の明るい局面とその陰に潜む暗い闇」をふと思いながら、「これが見納めだなぁ」とじっと眺めておりました。まさに、人間の存在自体の陰と陽
娘の暗い闇が転じて、翌年はこの花のような黄金色に輝く日々が訪れるように…と切に願ったことを思い出します。
この後、夕方になって娘を入院中の病院へと送り届けました。
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更にもう一年前は・・・
もう一年遡った2019年の3月18日は、これも娘の命運をかけた日となっていました。
「何一つ非がないのに、世の中から忘れ去られ置き去りにされた日々」を、知って欲しい、理解して欲しいと、加害者宅前で抗議のハラキリをする代わりに行った(私的には)命がけの訴えなのでした。
よく見ましたら、年齢が間違っていますね。この時は中1の3月なので13歳でしたよ
?(゜.゜)?
(後に「ネットの有料記事ではカラーになっています!」と弁護士T先生が送ってくださいました)
そして、ブログを始めたのも、この記事を世に出すためでした。
そして、ついに2年前の昨日、私のその悲願は達せられたのです。
それから2年、自分の人生を取り戻そうとする娘を支えてきましたが、まさに10年分くらいの中身が凝縮された、非常に濃厚な期間だったと思います。一人の子供の社会的死と復活の過程を傍で、現在も進行形で見つめているのです。
今日見かけた、私の大好きなハクモクレンの蕾…
そして、私の大好きな『娘』… 4月からも、できるだけ多くこの「復活と癒しの場所」へと足を運べますように・・・
明日からの春休み、心身の不調の更なる改善を目指し各方面の集中治療を頑張ります!!
そして、来年度も応援のパワーを届けて頂きますようよろしくお願い致しますm(__)m
※ TOEFLの結果が出ました。それは次の記事に
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