Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

まだ幻の「娘の大学受験」と過酷な「私の大学受験」の思い出

巷では、10月から大学の推薦入学の試験が行われ、娘が酸素カプセルに通う整骨院でも隣のベッドのお嬢さんが、先生に「決まりました!」と嬉しそうに報告されているのがカーテン越しに聞こえてくる…というそんな季節になっています。

 

外はまだ晩秋というには早く、昼は汗ばむくらいの陽気であるのでに不思議な気分になります。(私の中では大学受験=寒風と雪の景色のイメージなので…)

 

今日は知人の娘さんが、オンラインでの受験をされているということで、おそらく今(午前10時過ぎ)真っ最中だと思いますが、良いご縁のあるところならば、どうかそれが結ばれることを今朝も手を合わせて祈っておりました・・・

 

こんなことを書いていたら久々に私自身の大学受験期のことが蘇ってしまいました…

 

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過酷だった大学受験

あの時代は、まだAO入試もなく高校も第一期生だったので学校推の指定校薦枠もなく、大学入試と言えば、多くの女子生徒が目指しが「短大」がやはり10月頃に始まり、次いで四年制の推薦入試が今頃あり、一般入試は年明けの風も凍り雪も舞う2月の私大入試から始まる、と言った具合でした。

 

両親は私の大学に進学させる気など全くありませんでした。自分たちの息子には私学の授業料以外にも総額数百万円以上の教育費をかけ、予備校、家庭教師、浪人2回と大学に入れるための最大の努力をしていましたが、「女の子は大学に行かずに働くものだ」という、理由なき固定観念を堅持していたのです。

 

なので、私は自分がバイトをして貯めた貯金で国公立大学をどこか一校だけ受けると決めていたのです。私大を受験するなど不可能でした…

 

そんな中、無理やりに公務員中級試験を受けるように手配され、一次の学科試験は手を抜いたつもりが通ってしまい「二次面接の案内」が親の手元に来てしまいました。

 

従順だった私は親に反抗することなどできず、仕方なく行くことになった面接では、厳しい顔をした数人の男性面接官を前にとうとう言ってしまいました・・・

「私は就職をせずに大学でもっと学びたいのです!」

 

おそらく前代未聞⁈

面接官の皆さんは驚き呆れられ、持ち時間の限りお小言を沢山浴びました。部屋を出てから自然に涙が出てきたのでトイレに駆け込んで個室の中でしばし泣いて、それから普通の顔をして家に戻りました。

幸い、落としてもらったといいますか、結果が来る前に、親が手を回していた市会議員から電話が入り、その人からも激怒され「顔をつぶされた」と罵詈雑言を浴びました。(昔は、教員採用試験や公務員試験は二次面接対策としてこういう口利きをする人が多かったようです)。

議員さんは親に対しても、「一次試験を素晴らしい成績(京都府で1番…)で通ったのに、なんてことをしてくれたのか!」と、当然の如くかなり頭に来ておられたようでした。その後、親から何を言われ、どんな扱いを受けたのかは記憶から消去されてしまっています。

そもそも、国公立大学を目指し5教科7科目+αを勉強している人間が公務員中級試験など普通は受けませんから、設定自体が無茶苦茶な話でしたし、良い成績で受かるのは当然の話で、どう考えても市会議員の出る幕などなかった筈です。

 

小さな頃から万事がこんな調子で、「私がどういう子供であるか」が親には全く理解されていなかったのがわかる象徴的な出来事だったのです。

 

高校の先生方も、私の親に対しては信じられないという思いで見守り励まして下さっていたのですが、友人に話してもかけ離れた世界の事のようで全く理解してもらえません。

 

皆が予備校に通い、最後の追い込みをする時期だったと思いますが、こんなに辛い経験をしながら、家では受験勉強に集中できず、直前まで家業の手伝いをさせられたり、夜も9時に電気を消されたりしていたため、お友達の家で机を貸して貰ったりして凌いでいました。

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共通一次試験では「実際に一発勝負で後がない、まさに生きるか死ぬか」という状況で過呼吸と緊張で眠れず、事もあろうに、二次試験の日は38度5分の熱を出しながら、朝早く起きて自分でおにぎりを作りレモネードを用意して出かけて行きました。

これに落ちていたら、もう就職しかありませんでした。公務員は蹴ってしまったため、私の運命はどうなっていたかは想像がつきません。

 

幸い、神様は私を見捨てずに希望どおり勉学を続ける道に進むことができましたが、それからはアルバイトに明け暮れ授業料支払いと生活費、交際費を賄い、食うもの食わず着るものも買わず、サークル活動もできず、家での家事はしっかりこなしながらのかなり辛い日々ではありました。

その後、人生の色々な変化を超えてから院に進み奨学金での留学も勝ち取り、自分の限界値まで興味を追及することができたのです。(結局は、自分が学問向きではないことも自覚できました‼)

 

そんな葛藤の軌跡が今の息子や娘にも繋がっているというわけですが、自分の子供ながら、(各々かなり辛い健康上の試練はありましたが)その時々で親に守られ最善の環境を用意してもらい勉強を続けることができているのは、何と幸せな子供たちなのだろうとつくづく思ってしまいます。(親というものは普通はそうなのでしょうが)

 

しかし、私がそうだったように、親の無知や偏見、或いは家庭の経済力で勉強が続けたくても続けられない子供はまだ少なからずおられることを考えると辛い気持ちが蘇ります。でも、最近は私の時代とは比較にならないくらいに奨学金も充実していますので、大学進学の希望がある人は、すぐに安易に諦めず、信念の灯を絶やすことなく何とか勉学の道を模索してほしいところです。

 

※両親はかなり後になって「私の子育てを見ること」で、自分たちが子育てにおいて「特定の子供を差別的に扱った」という過ちに気づいたようで謝ってくれました。母親などは死んでからも霊媒師の知り合いを通して、「ごめんね…」としきりに訴えてきたので本当に反省しているようです。私は親を赦し、もう二度と触れることのない問題となりました。

 

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娘の志望校決定はまだまだ先

一方の娘は、もう日本の受験からは脱落してしまっているため、マイペースに準備を進めてどこでも好きな所を受けてご縁のあるところに行くことになります。

 

ヨーロッパの文化が好きな娘は、イギリスの大学にも興味が出てきたので、学校の先生にも相談を持ち掛けたようです。

そうしたら後日、学長さん(アメリカ人)が慌てて飛んでこられて、「君はアメリカの大学に行くべきです!」と説得をされたということでした。

 

娘のみでなく、学長さんはアメリカの受験に精通されているため、アメリカの大学押しが顕著です。ヨーロッパ圏の学校の情報はあまりなさそうなのが気になりますが、イギリスは受験制度がかなり異なり、試験も難しくお金もかかるようなら、やはり北米ということにならざるを得ないのかもしれません。

 

その後、準備不足で受けたSATがありましたが、その結果が出ればアメリカの大学でどのくらいのレベルが狙えるかがわかるため今は待機中だということで、気楽に好きな事をして過ごしているところです。

 

いつ受験があるのかも、外国に行ける体調になれるのかも、コロナのこの状況で海外に行けるのかも、な~んにもわからないままです。

親としては、「体調が戻らない時に備えて国内の大学受験可能なAO入試も、そろそろ探しておかないと」と思いながらまだ何も調べていないという、気の抜けたような日々を送っていまして、しかし、一学年上のお子さんの受験が始まりそろそろピリッとしないと駄目だなぁと感じています。

 

でも、私の時のような「生きるか死ぬか」みたいな受験よりも、このくらい「肩に力を入れて生きていくことがない人生」「要は縁のあるところに最終的にはたどり着く」と考えておくのも、この際それはそれでよいかな?、と思う今日この頃なのです。

 

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