Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「体育」を受けられない病弱生徒の悲劇 ① ~ 幼年時代の「Jesus」&「Bible」との邂逅

(前半部、今までの記事と重複するが、もう一度聞いて頂きたい)

 

娘が体育を受けられないのは、専門医である医師の判断と意見に拠るものである。

 

周りでは、同病の子が完治したと思って体育を再開したところ、バレーボールや陸上競技をする中で再発した子供たちが何人もいる。

 

何よりも娘の場合は、まだ病気が治っていないのだ。

 

体調の悪い日などはそもそも学校へ登校すること自体が大変なのに、そんなふらふらした状態で、飛んだり思いっきり走ったりして転んで悪化(再発?)でもしたら、ブラッドパッチやらで何か月も治療に潰れることになる。

 

それどころか、下手をするとまた以前のように回復の兆しを掴むまで2年近くかかることも考えられるし、運が悪ければそのまま良くならず、現在よりも更に低いQOLでの日々を送ることになる可能性だって充分ある。

 

大学受験が来年に迫った時期だからこそ今はリスクを取らず、「今度こそはちゃんと自分の希望する学校を受験できるまでこの高校に残っていたい」(大学に通えるかどうかは別として)、と思うのはこれまで散々辛酸を舐めつくした者としては当然ではないだろうか。

入学した時から、娘は、体育に参加したい気持ちをずっと我慢をしているのだ。

昨年は「スポーツデイ」でクラスメイトが嬌声をあげて楽しそうにドッジボールに興じるのをビデオ撮影するという役目を与えられ、ビデオ撮影のフィルターをを通して目に入る友達の溌剌とした健康的な姿に涙が抑えらくなり、その場を離れて大泣きしたという事もあった。 

 普段の体育も学校の性質上、日本の高校とは違って全くハードなものではなく、バレーボールやバスケットボールを中心とした、ある意味レクリエーションのような雰囲気を醸し出しているという。そりゃ自分も加わって友達とキャーキャー言いながら勉強のストレスを発散できたらどんなに良かろう・・・

 

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体育に参加できないことで…

1年の時は副校長の髭の米国人の先生に、体育授業の参加の仕方を相談しようとしたところ、「病気なんだね、じゃぁ体育は無しでいいね!(英語で )と、こちらが配慮をお願いをするまでもなく潔い決定をされたため何も迷う事は無かった。

 

しかし、2年生になると勝手が違った。

娘個人宛ての時間割には、「体育」の文字が入れられていた。なので、担当の体育の先生に、「体育が受けられませんので、レポートとかにしてもらえませんか」と頼みに行ったら一言こう返ってきた。

「僕の授業ではそういうことはしません」

 

日本の高校なら当然あるような「体育に参加できない生徒は○○しなさい」という指導やフォローも無かったため、娘はオロオロして、毎度のように校長先生の所に駆け込んで相談を行ったところ、担任の先生が体育の代替としての課題を出すということになったのだ。

 

それが、米国オンラインの「クリスチャン保健体育」であった。

 

ネットでページを開けると、保健体育のはずなのにBibleのことが一杯でてきて戸惑っいた。けれど、真面目で忍耐強いな娘は、それを自習という形で少しずつ続けていたのだが、ある日、とうとう煮詰まってしまった。

 

そこには、Bibleをいちいち開けて調べないと答えらないような問題がずらっと続き、その日は他の教科の差し迫った課題もあるというのに、それだけで2時間以上かかってしまったからだ。

 

このような「クリスチャン保健体育」は、幼少から教会などでキリスト教の教義を叩き込まれ、聖書をそらんじられるほど読み込んでいるような子供なら、それほど苦痛ではなかったかもしれないが、キリスト教の宗教的素地のない娘にとっては実にうんざりするものであったのは事実だ。 

 

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娘とBible

 

かといって娘がBibleとの接点のない成長過程を遂げてきたかと言えばそうではない。

 

まだ㊙事項なのでこっそり伝えるが、娘は小学校に入るまである宗教以外の目的で教会のような場所に通っていた時期があるのだ。

 

その影響もあったのかもしれない。就学前の年中さんの頃には、米国の子供に一番読まれている「お子様用絵本聖書」で、ジーザスと慣れ親しんでいた。 (ヤフオクで「ひと箱幾ら」で買った洋書の古本の山に紛れていたもの♪)

 

いかにも教会関係の読み物にありがちなアチラの絵柄だが、娘はこの500ページを超える長編読み物を、一人で読んでしまったのだ。(ずっと以前に「読み聞かせ」は既に終わっていた)f:id:kanon139:20210825230305j:plain

結構気にいったようですぐに読んでしまったため、私もその娘の成長に感激し、今度は一生物の美しい挿絵の聖書絵本を珍しく定価で買ってやって読ませた。こちらは350ページくらいのハードカバーだったが、案の定ずっと読みふけっていた。 

 ページの中は、想像以上に芸術性豊かであり、これはきっと情操教育にも一役買うだろうと、高い出費ではあったが後悔はなかった。 

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歳にすれば5歳の頃の娘にとって、教会とは若く優しい10代のアメリカ人のお兄さんたちと聖書を読んだり聖歌を歌ったり遊んでもらったりする場所であり、聖書とは、自分が一人で漕ぎ出たばかりの洋書の海の中の一つの美しい泡のようなものであった。その壮大なストーリーが織りなす目くるめくロマンに、小さな心は完全に魅了されていった。

 

実際にクリスチャンの信者さんの中で過ごす時間がたまにでもあったからこそ、それらの絵本の中のイメージが入ってきやすい、というところはあったのだと思う。

 

しかし、小学生になると夏休み明けには大阪の小学校への転校などがあったため、娘の教会や聖書とのご縁はこの幼年時代で終わる。

 

そして、現在娘がキリスト教について口にする関心事と言えば、

「生まれた地域からして人種的に白人のはずがないのに絵画ではみんな白く書いているな」

とか、その程度のことであるのだ(これはモロにBLMの影響だろう・・・)

 

来月にはお祖母ちゃんの3回忌の小規模な法事があるが、お寺もお墓の浄土宗である娘にとっては、やはり長年の仏教の風土に馴染んでしまっているのは当然と言えば当然だ。

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ご先祖様の墓地のある京都東山「金戒光明寺」(黒谷さん)

それでも、かつてご縁のあった「キリスト教会」と「子供聖書」の世界は、七色の雲のようなふんわりと優しいイメージ幼き日の幸福な日々の 記憶として娘の心にしっかり残っているのだと思う。

 

(続く)

 

 

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