昨日、娘が帰ってくるなり泣き出したのでびっくりしていました。
聞くところによると、ある授業の「発表」のため、ちゃんと準備して臨んだのだそうです。
そうしたら、途中で過呼吸が起こり、言葉が出てこなくなって、涙が溢れそうになるのを堪えるのに必死でわけがわからなくなってしまい、発表は散々なものになってしまったらしく、それにもショックを隠しきれていない様子でした。
娘はこの後、この授業の担当の先生の所に行って、半泣きで必死で訴えていたのだそうです。
「私、無理なんです。これからも絶対に無理です…」
と。
先生は、娘が学校では勉強も集中して頑張り、友人ともずっと楽しく接しており、体調以外は何の問題もないように過ごしている姿を見ておられるので、初めはその深刻度に気づかずにこにこしながら聞いておられました。
そこで、娘が「精神科に通院している」ことを告げると、顔つきが変わられたようです。
娘が言い足りなかった部分は私がメールでお手紙を書くことにしました。
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娘は、なぜこのタイミングで突然こんな状態になってしまったのか、自分でははっきりとはわかっていません。(おそらくトラウマとはこういう形で表れてくるものなのでしょう)
ただ、はっきり断言できるのは、3年前のあの事故によって娘の心の中の風景が完全に変わってしまったことです。
以前は人前で発表することが苦手なタイプではなかったと思います。
学校事故の前には、テレビカメラを構える取材陣に囲まれた所で、Skype英会話レッスンで、新聞記事を読み即興のディスカッションをしていました。
平常心での余裕でした・・・
「普段は目立たないのに、なんてクソ度胸のある子なんだ」 と、初めて娘のこんな一面に触れて我が子ながら尊敬の目で見てしまうほどだったのです。
でも、今は人前で視線を集めることに恐怖を感じるところがあるのでしょうか…?
人の視線の裏にある様々な思惑を跳ね返すような強いバリアが壊れてしまったのでしょうか…?
あの事故に遭って3年になりますが、いつも不安に付きまとわれ、そんな自分が嫌で自信が持てなず、自己評価が低くなってしまっているのです。
学校に復帰する前に本人も気にしていた現実的問題と言えば・・・病気のために勉強が遥かに遅れてしまって希望の進路は歩めなかったこと、そして高校に入ってついてゆけるか、クラスに馴染めるかという不安・・
でも、それを補って余りあるような能力が徐々に蘇ってきていることは本人も徐々にわかっていました。
なので事あるごとに、
「不安に飲み込まれないで、ここまで頑張れている自分の現実に自信を持って!」
「生まれ変わったら『藤田くらら』になりたいくらい私から見たら羨ましい輝く存在なんやで!」
と、励ましていたのですが、
「もっと辛い人はたくさんいるのがわかっているし、自分はこんなに恵まれているのに不安でたまらない。そんな自分が嫌で、情けなくなる」
と、余計に落ち込ませて泣かせてしまうので、もう何の「励まし」も言えなくなっています。
その上、前回のKF病院のメンタルケアの診察ではちょっとショックなことを言われました。
「くららさんは、お母様にも自分の辛い気持ちを打ち明けられないと言っています」
だということです。前回から親子別々の診察が始まったのですが、娘がこのように話していたのです。
学校でも勿論、友達には自分が味わって来た苦しみなど話はしておらず、言ったところであの痛み、不安、孤独、怒り、涙 が理解できる高校生などいるわけはないでしょうが…
なので、主治医のK先生は、春休みに入るとすぐに心理テストをして、カウンセラーを見つけた方が良いと言われました。
「トラウマを扱えるカウンセラー」だそうです。
今のところの診断ではやはりPTSDということですね・・・
そして、今回また、PTSDの発作が起こったことで、今、予定している「あること」を懸念し始めています。それが「吉」とでればよいのですが、反対の結果になったらどうしようか…
と、私も少し不安になっています。
それは、次の記事で書きます。
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