Googleフォトを使っていると「1年前の今日」という通知がくるのですが、それを見てみると、今日が今の学校を受験した日でした。
コロナ体制が厳重だった頃なので、異例のオンラインでの受験。
病院側に用意して頂いたお部屋は電波が届かず、あっちに走り、こっちに走りと焦りまくって、やっと落ち着いたのが病院の正面玄関のバス停前でした。寒風吹きすさぶ中、私と看護師さんが見守る中での入学面接でした。
イケメンの校長先生が画面の向こう側にいます。ずっと貯め込んでいた苦しい思いを吐き出すように娘は話し続けていました。
合格通知はあったようなないような…
桜の咲く頃入学説明会に一日行ったきり、それから、学校は6月初旬までリモート授業となりました。自分の学校内での位置づけも不確かなまま、本当に久しぶりの「課題」というものを仕上げるのに苦労して、体調が悪くて提出期限が守れないこともあり、まさに体調のコントロールに終始した日々でした。
そして、6月から夏休みまでの1ヶ月と少しの期間は、学校に、授業に、クラスに適応するために非常な苦労をしていたのです…
あまりの張りつめた緊張感で「学校を休む」という選択肢は心にはなく、真っ青な顔で出かけ、そうして一人で帰ってきて倒れ込んでいました。9時に寝て朝8時過ぎから長い時間をかけて覚醒をするだけの生活でした。
適応できる面はすぐにできましたが努力してもできない事もありました。
それは娘に原因があるのではありませんでしたが…
夏休みが終わる頃になると物凄く悩んでいたようで、見るからに暗い顔つきに変わっていました。
でも、学校をやめるということは一度も考えたことはなかったようです。
そこには「やっとの思いで掴んだ社会との接点を決して失うまい」という強い意志が見えました。
そうして・・・
夏休みが明けると、担任の先生には苦い顔をされましたが、校長先生に何回も直談判をして「授業のクラス」を変更、日本語クラスからネイティブクラスへと移ることになったのです。
それまでの「慣例」により放り込まれた閉塞状況から、「自分が自分らしくいられる環境」への扉を見つけ、しっかりと自らの手で開けることができました。
「海の魚を川に入れると生きていけなくなる」ことを、周りにもう少し早く気づいて欲しかったところはあります…
「慣例」が一人の生徒の成長を封じ込めてしまう事は日本の学校ではよくあることですが、ここでは、その事に気づいて向き合ってもらえたこと、そして、「慣例」を強制されることはなかったこと…
その一点だけを取っても娘がこの学校にご縁があったことは幸いだったと思います。
そして、一年経った今、本当に楽しく学校に通っているのです。
世間は国公立大学受験の合格発表で沸き立っていますね。
努力の末に希望が現実となった方、更なる夢へと向かって益々パワーアップしてください!
涙を呑んだ方はそれ以上に多いことでしょう。でも、何が自分にとって最善の道かは蓋を開けてみないとわからないと思うのです。
娘も本来は、公立高校から国公立大学へというコース(経済的理由から…)を辿るはずでしたが、それからは全く外れた思いもよらないルートを歩んでいます。
でも、中学3年生のときのような、行き先の見えない大きな不安というものは、あまりありません。
日々のルーティーンをこなすだけで一杯一杯で、自分のできる頑張りをコツコツと積み重ねるだけです。
「自分の足元にある道」をひたすら歩いてゆくのみ・・・
そうしたら、この学校に流れ着いたような「私たちの意志を超えた偶然」がまた訪れて、娘が進むべき道が蜃気楼のように「ふっと」現れてくるような、そんな気がするのです。
今日は10年目の3月11日 「忘れません、東日本大震災」 2011.03.11.14.46
ヘイリーが素晴らしい「日本語の情感」たっぷりに歌い上げており、心に沁みます…
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