しばらくブログの方のお休みをもらい、ゆっくりさせて頂く間、久しぶりに明石の病院まで赴きN先生とお話してきました。学校事故の事に関して初診をして頂いたため、どうしても聞いておきたいことがあったのです。
神戸からだと1時間くらいだったのが、京都からだと2時間はかかる電車の旅となりました。
京都ー大阪-芦屋ー住吉―六甲道ー三宮ー神戸―須磨ー舞子―朝霧
須磨のあたりから海沿いを走り、明石海峡大橋や淡路島、その向こうの四国の島影もぼんやりと見えます。京都では決して味わえないこの景観・・・
診察室では、この3年間の娘の体調についての経過と、改善した点とまだ治らない点を分けてお話したのです。
福山での一昨年の11月のブラッドパッチで劇的に体調が改善し、2月に再度しましたが、その時は今一つ手ごたえがありませんでした。
その後、睡眠障害の専門病院に長期入院して、ここでもう一段階改善を感じたので、全日制にチャレンジすることになったのです。思えば、睡眠障害の先生はものすごく心配されていましたが、今の学校のご理解とご協力のお陰で一年生を終わろうとしているのです。
そして、昨年夏の発表会前のブラッドパッチ(6回め)では、直後の1ヶ月は状態が悪化してどうなる事やらと気が気ではなかったのですが、その後、季節単位で見ると、明らかに改善している感触を娘自身が感じているように思います。
とは言っても、昨日はまた朝の頭痛で起きられず試験前だというのに学校をお休みしてしまいました( ノД`)…
しかしながら、三寒四温の如く、「しんどいながらも良くなっている気はしている」と娘自身が言うのですから、絶対そうだと思っているのです。
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高次脳機能障害
多くの患者さんは、髄液漏出による記憶や認知の障害に悩まされます。特に、学齢期の子供は学習に支障をきたし進路も大きく変わってしまうことになるため非常に大きな問題となります。
極端な例では、数学が大好きで大得意で、全国模試も一桁常連だったというお子さんが脳脊髄液減少症の重症化により、公式が一つも覚えれられなくなるというレベルまで脳機能が低下してしまったそうです。
短い文章の意味も理解できなくなり、大好きな読書もできなくなりました…
絶望のどん底に突き落とされたこのお子さんは、「生きているのが嫌になって近くの高いビルに上り、下を見下ろすことが何度もあった」と、後にお母様に話されたそうです。
娘もかつては認知症のような状態になっていました。ほぼ眠っている状態でしたが、たまに起きてきた時も、電気を消せない、水は出しっぱなし、先程したことを「してない」と言う、事故後の記憶が消えている事もありました。とても、勉強ができるような状況ではありませんでした。
中3の訪問授業でも、テストのために前の日に頑張って覚えても、翌日は全て記憶から消えていたことで泣いていました。
しかし、そんな中で、ブラッドパッチをすることで、少しずつ改善してきたのでしょう…
そして最近、ついに、「ものすごい事」を娘が呟いたのです!
「なんか、最近、覚えやすくなっている気がする。前の日に覚えたことを翌日までけっこう頭に残っている感じがする…」
これは、非常に大きな意味を持つ呟きであります!なぜなら、諸症状の中でも、記憶力や認知力が戻るのは比較的遅いと言われているからです。脳内の髄液量が回復してきたのかもしれません‼
体調に関しては、低気圧💣で大きくやられることも、軽い頭痛とだるさくらいで終わることもあります。そして、昨日のように、気圧は普通でも突然大きな頭痛が来る場合もあります。
まだまだ揺れが大きく日々心配が絶えないというのが正直なところです。
その他の症状も残存していますが、よく言われるように、年単位、いや季節単位で比べてみると、確かに以前とは違っていることを私も娘も感じているのです。
本来なら病気の事だけを考えてゆっくりゆっくり構えていられればよいのですが、来月から高校2年になってそろそろ大学進学のことも視野にいれなければならなくなる時期が嫌でもやってきます。
高校受験の時のような辛い思いはもうさせたくはありません…
このような事をつぶさにN先生にお話しして、この状態で、次はどうしたらよいと思われますか?という相談をしたのです。
長くなるので、N先生のお考えは、後に別の記事にしようと思います。
診察室で見かけたこんな風景・・・
可愛らしいガーベラの花の缶バッジが机の上に置いてありました。
次回は「脳脊髄液減少症の一人の患者さん」が始められた この素敵な取り組みのことを書きたいと思います。
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