Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

神戸高塚高校「校門圧死事件」から30年 ~ 引き継がれる「杜撰な管理教育」は新たな犠牲者を生み続ける ①

連載で娘の中学のトンデモ水泳指導について書いてきたが、この出来事に象徴されるような神戸市立中学校の管理主義的風土は今に始まっているいることではない。

 

神戸市の異常ともいえる教育風土

 

近年では、垂水区の中3女子いじめ自殺隠蔽事件、小学校教頭の電車内盗撮、久本市長からの組み体操中止要請拒否、そして、小学校教師間のカレーいじめ事件などで、全国有数の異常な教育現場であることが白日の下に晒されている。

 

これは今に始まった事ではなく、神戸市(兵庫県)は、過去にも行き過ぎた管理教育による悲惨な事故が何度も起こっているのだ。

 

 

あの「校門圧死事件」も神戸市の出来事

 

1990年に起こった「県立神戸高塚高校校門圧死事件」は、全国の、特に、子供を学校に通わせる親は鮮烈な恐怖の感覚をもってその報道に釘付けになった。

 

 

*それから30年経過した2018年の神戸新聞の記事からの抜粋

 

兵庫県立神戸高塚高校(神戸市西区)で、男性教諭が閉めた校門に女子生徒=当時(15)=が頭を挟まれ死亡した事件から6日で30年になる。厳しい指導と規則で生徒を縛る「管理教育」の象徴ともいわれた事件を風化させまいと、元教員らでつくる市民団体が追悼行事や情報発信を続けてきたが、メンバーの高齢化を理由に活動に区切りをつける。「学校で命が失われた事実を忘れないで」。歩みを記念誌にまとめ、変わらぬ願いを口にする。(井上 駿)

 事件は1990年7月に起きた。全国の学校では80年代から校内暴力など学校の荒れが問題化し、90年代に入っても管理教育が続いていた。

 同校も「遅刻すれば校庭を2周走る」などの罰則や、校門の前で生徒の服装をチェックする「校門指導」を強化。そして、午前8時半のチャイムに合わせ登校した女子生徒の頭を、教諭が閉めた重さ約230キロの鉄製門扉が押しつぶした。

 「あの日は1学期の期末試験があり、部活動の朝練もなかった。生徒はぎゅうぎゅう詰めで最寄りの市営地下鉄西神中央駅から学校になだれ込んだ」。当時、同校の教員で、今も追悼の活動を続ける高橋智子さん(78)=神戸市西区=は振り返る。「女子生徒は普段、遅刻するような生徒ではなかった。管理教育の犠牲者だった」

     ◆

 事件後、管理教育の見直しを求める教員や保護者、弁護士らが「ぐる~ぷ 生命の管理はもうやめて!」を結成。93年には、神戸高塚高が事件現場の校門をまだ新しいのに撤去したことを問題視して民事訴訟を起こし、裁判ニュースを発行した。その後も「高塚門扉」とタイトルを変えて会報を出し、事件発生日に門の前で追悼集会を続けた。

 「マンモス校で起こるべくして起きた悲惨な出来事だった」とメンバーら。

 当時の神戸市内は大規模開発で人口が急増。同校も西神ニュータウンの人口が増え、全校生約1500人のマンモス校に膨れあがっていた。教員数は追いつかず、管理教育に頼っていたという。

 長年、会報の編集作業を担った所薫子さん(67)=同市中央区=の長男は当時中学3年生。女子生徒と同世代だった。

 ゆとり教育が導入されるなど、学校と生徒を取り巻く環境は様変わりしたが、「当時は長男が犠牲になっていてもおかしくないと感じた。その思いが活動を支えてきた」と振り返る。

       ◆

 神戸高塚高校では3日午前、仲山恵博校長が校内放送で「生徒一人一人を大切に、安全で安心して学べる学校であり続ける」と全校生に語り掛けた。

 仲山校長は「事件を風化させず、教訓を受け継いでいく」と話した。

【神戸高塚高校校門圧死事件】1990年7月6日、兵庫県立神戸高塚高校で、登校してきた1年の女子生徒が、遅刻指導として男性教諭が閉めた鉄製門扉に頭部を挟まれ、死亡した。懲戒免職になった男性教諭は、業務上過失致死罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた。当時の校則至上主義を象徴する事件として全国的に注目され、管理教育を見直すきっかけになった。

 

平成28年2月4日神戸新聞

 

高校1年15歳の7月に「教育を行う場」で命を奪われた女の子…

丁度今の娘と同じ年頃だと思うと本当に身につまされる思いだ。高校に入ったばかりで課題も多く、きっとまだ慣れない定期試験のために寝不足で身体もしんどかったのだろう… 

親御さんは、こんな形で娘を失いどれほど無念と怒りを覚えられたことか。

 

記事中で気になったのは、「ゆとり教育が導入されるなど、学校と生徒を取り巻く環境は様変わりしたが」とあるが、他府県から来た者の目にはそうと映らない部分が諸所に見られたのだが。

 

例えば、以前記事にした、娘の中学校内のこの異様な光景はどうだろうか? 個人的にはこの一件だけでも、「管理教育思想のエッセンスが凝縮」されていると思っている。

 

www.tomaclara.com

地元神戸の人は、「中学校に入ればこんなものだ」と感じているかもしれない。

でも、今まで各地を転々としてきたがこんな異様な学校の規則、一度も見たこともない。 

 

病弱児童の親になってからの目線

 

校門圧死事件から30年以上が経過し親となっている現在、若かった頃にこのニュースに接した時の印象よりも、この事件が含蓄する意味が深刻度を増しているのは当然なのだが、更に、2人の病弱児を持つ身としては、これは本当に言語道断の酷い事件として映るのだ。

 

朝起きられない病気として、現在は「起立性調節障害」が知られているが、私の学生時代は、こんな病名は誰も認識していなかった。

 

脳脊髄液減少症の場合だと、過眠症状が出た娘は1日中起きられなかった。

 

校門圧死事件が起こった当時は、これらの病気のように医学的にどうしても朝起きることが不可能な生徒に配慮して校則が決められるという雰囲気はあり得なかったであろう。

残念ながら今もその状況は変わっていないようだが。。。

 

この点に関しては、娘と同病のお子さんを持つブロガーの夏菜子さんが、ブログに書いておられる。

 

「高塚高校校門圧死事件」を考える視点の年齢における変化に加え、「学校に定刻に通うことが難しい子供を持つ親」としての、やりきれない切なさを淡々とした口調の中に余すところなく表現されている。

 

(記事からの抜粋)

 

・・・・

月日が経過し、親目線、さらには病気の子どもの母目線でその事件を見ると、当時と感じることが違うようにも思った。さらには当時の校長が『あと10分早ければ、事故は起きなかった』と在校生に言ったということもはじめて知り、衝撃を受けた。

・・・・

 

その頃は学生目線からしか見ていなかったが、親目線で見ると本当につらい事件だと思う。遅刻指導で子どもが帰らぬ人になるのだから・・・そんなことだったら、遅刻してもいいから、生きていてほしかったと思うのではないだろうか。

 

遅刻といっても、理由はいろいろあるように思う。例えば、一哉のように病気で朝が起きづらくなっている(残念ながら、今でもそういう病気が何種類かあることに対する理解がなく、怠けているという人もいるらしい。それも教育関係者が・・・である)、途中で体調が悪くなった、夜遅くまで勉強して寝過ごしてしまった・・・などなど。

 

とくに理由なく、遅刻してしまう子どももいるかもしれない。でも、中には理由がある子どももいる可能性がある。

 

難しい年頃だから、力で押さえこむという方法が取られていたのかもしれない。でも、それが教育施設のあるべき姿なのかは夏菜子(仮名)にはわからない。

 

yuzusizuku.hatenablog.com

 

色字にした部分、「あと、10分早ければ事故は起きなかった」と在校生に言ったというところに驚愕した。

 

これが100パーセント真実なら、この校長がまともな人間性を有した人物ではなく、トップがこのような人間性であるが故にあのような悲劇が起こったのならば充分に頷ける。

 

この鬼畜の所業とも言える言葉を、遺族の方は耳にしておられないだろうか・・・きっと娘さんが2度殺されるような気持になられることだろう。

 

 愛しい娘を奪われた父親ならずとも、半〇しにされてもおかしくないくらいの無神経の極みのような言葉ではないか?

 

 この頃からの徹底した管理教育は今も脈々と、一つの「思想」として、この地の中学校に入学する12歳の子供を押さえつけるための教育方針として脈々と受け継がれているのだろう。

 

少なくとも、東灘区の某中学校に関して、何か例える言葉を探すならば、「管理教育」以外の言葉は見つからない。

 

*犠牲になられた神戸高塚高校の女子生徒さん、今は安らかなお気持ちであちらの世におられますことを心よりお祈り申し上げます

 

 

 

 

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