Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

忘れないでください…見届けてください… 「事故被害者」家族として皆さんにお願いしたいこと

このところ幾層もの現実の深いところにある問題を掘り下げて話をしています。

そのため、かねてからこの問題に寄り添っていただいている幾人かの方にご心配をかけることになってしまいました。

 

昨日のはてなブックマークコメントの方には、このようなコメントを頂きました。

大切な人様の娘の体を壊し、将来まで変えたのに誠意ある対応もせず放置した加害者、親、学校の教師。この人達にどれ程の罪を犯したのか気づかせる術はないのでしょうか?私達に出来る事があれば教えて下さい。

 

私が声を大にして言いたいにも関わらず、公共の場に公開していることから、言うのが憚られることを、まるでいつも代弁しいただいているかのようなコメントをして下さる方です。

 

この学校事故の問題に関しては、「私の心の声を聞き取っておられるのではないか?」というくらいの深い共感を寄せていただいており、いつも非常にありがたく心強く感じさせて頂いております。

 

私としてはある意味限界点に近いものがありますが、病気で倒れたとしても音を上げることは決してありませんし潰されてしまうこともないと思います。

 

それはこういうことです。

 

もしも仮にですが、自分がこの問題の加害者或いは責任のある側の立場の人間にあって、「一人の罪のない前途有望な子供」の可能性を大いに狭め、一生残るかもしれない後遺症を負わせ健常な人間として生きる人生を奪ってしまったとします。

 

そうなれば、もう一生をかけて償う義務、形式手義務ではなく人道的に当然な義務感を感じ、限界点もくそもなく、必要ならば全財産を投げ出してでも自分の一生を償いのために使うことになると思います。

 

限界点なんてお構いなく、その子供が元の状態に戻れるよう、自分の生活のすべてを投げ出して、力の限り尽くす、全快が無理なら、せめて社会復帰できる状態になるまであらゆる手段を講じて尽力する気持ちとエネルギーを持つと思います。

 

極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、これは、脳脊髄液減少症患者の子供さんを持つ親御さんの多くが口を揃えて言われる気持ちなのです。

 

「もし、よその子供さんを、自分の子供がこんな状態にしてしまったらもう生きていられないくらい申し訳のない思いを持つだろう」と。

 

そうなのです。脳脊髄液減少症の子供を持つ身となった親御さんなら、多くはこういう気持ちになるのです。そのくらい悲惨な状況が子供の人生の大事な時期に刻み込まれている事実を間近に見せられているからです

 

私も同じで、全財産を投げ出して土下座して赦しを乞うても、取り返しがつかないことをしてしまったという気持ちは消えないでしょう。

 

そして、この被害者であり苦しい状況にいる「子供を治す」ためのエネルギーは枯渇することはないと思うのです。

 

しかし現実には、

 私たちは被害者であります。

 

当初からそうだったのですが、

「なんで被害者側の親が一人で、仕事にも満足に行くこともできない状態で走り回って、お金を使いまくって子供の病気を治そうと心身共に疲労困憊になって、一つダメでもまた次の治療を求めて気持ちの休まる間もなく生きることをずっと強いられているのか?」

 

 美容室にも3年行っていません。行く気持ちがおこらないのです。今の私の全存在は娘を治す手配をするための装置のようにしか思えません。

 

というところに思いが行き着くと、気持ちの面で「もう限界!」となってしまうのです。不自然な役回りを演じさせられて、なんだか身体が雑巾のように捻じられてしまっているという感覚なのです。

 

既に2年半です。人間はこんなに不自然でいびつな環境で生きることを強いられると、娘の病状とは違うところで、精神が捻じれてしんどくなってしまうのです。

 

だから、今訴えたいのです。

「娘の失ったものは取り戻せないけれど、せめて健康に生きられる状態に戻すために、責任ある立場の人に協力してほしい!」と。

 

 

しかし…

 

現実問題として、事故の責任のある立場の人間がそうしたなどという話は一つも聞いたことがないのです。

 

脳脊髄液減少症患者(だけではありませんが)となってしまった子供たちの人生を破壊した者、責任ある立場の者たちは、涼しい顔をして順調に人生を謳歌しています。

 

大きな全国的ニュースとなった、幾つものいじめ殺人や、その他の子供による子供への凶行にあっても、加害者側が被害者家族に寄り添う、などほぼありえないことに気づかされます。

 

これは、私には理解できない感覚でありますが、統計的にそういう場合が多々あるのですから、人間でありながら他人を不幸にしても良心の呵責もなく平然と生きて行ける人が一定の割合でいるのは残念ながら確かな事なのでしょう。

 

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そこで

 

初めのコメントの最後の部分、「私たちに何ができるでしょう」という

問いかけへの返答をここでさせていただきます。

 

全ての犯罪被害者のご家族と同じ思いです。

 

忘れないでください。 風化させないでください。 見守ってください。

 

私はいづれ「闘う」ことになると思いますが、その成り行きを見て頂き、正義とは何か、責任とは何か、教育とはなにか、子供の人権とは何か、を各々考えていただき、この国の司法が娘の学校事故問題をどのように捉え、娘のこれまでの2年半の甚大な被害、そして今後も続くであろう苦難、の救済のためにどこまで寄り添ってくれるのか…それともあっさりと切り捨てられるのか…を、しっかりと見とどけて頂きたいのです。

 

 

 

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