Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

「全日制高校」への拘りではなく、生存してゆくために「英語」を最優先した選択結果=「A校」

この一年ほど、「全日制高校」への進学を希望して、やっとのことで「全日制高校」へ滑り込み、「全日制高校」は登校していることを書いています。

 

まるで「全日制高校でなければならない」という感じの親に思われてしまっているかもしれませんが、私自身、通常は「全日制高校」でなければならないとは露ほども考えておりません。

 

仕事で不登校の中学3年生を教えていましたが、ご家族の「なんとか全日制普通科に行ってほしい」という一般的には当然と言えば当然のご希望を聞き流しながら、本人に最も適正があり本当に進みたい道を応援しました。その「専門科」がある学校(専門学校)を探し電話で教務担当の先生と話をして調査し雰囲気を掴み、それを授業に行くたびにその子に話しました。すると、「学校」や「勉強」というものに対して抵抗感のあった子が、徐々に積極性を持つようになり、子供の目の色が変わったのを感じたご家族も、「全日制普通科」とは言われなくなり全力で子供さんの希望をサポートする理想的な体制となりました。

無事受験にも行けて合格。今はその「自分が好きで選んだ学校」に通えるようになっています。

 

高校受験の年齢になると個性もはっきりし、やりたいことも明確になっている子も多いので、自分の興味や適性に合わなければ無理して「全日制高校」や「普通科」に通う必要もないと考える姿勢は変わりません。

 

と、ここまでは、今までの記事とはある意味「逆説的」な体験を述べわけですが…

 

娘の問題に戻って、何故このA校に決めたかというところで、私と娘に全日制へのこだわりがあるように感じられた方も多いかもしれませんが、全日制へのこだわりではなく、「英語」へのこだわりなのでした。

 

娘が今後の可能性として、この病気を抱えながら自立して生活してゆくために何が身を助けるかと考えれば、確実なものとしては「英語」しかないということです。

 

日本の国公立大学への受験は現在の病状では不可能といいますか、受験に必要な科目数を考えると到底その負荷に耐えられる状態ではないため、もはや捨てるしかありません。

 

そして、この体調が大きく改善しない限りは、社会に出ても周りと同じペースで働くのは無理であり、責任ある仕事もできません。なんとか自宅でできる仕事を得て、一人で食べてゆけるだけのスキルを身に着けることが必要なのですが、娘にとって一番現実的であるのが「英語を伸ばす事」なのです。

 

この病気を知らない人には大袈裟に聞こえるかもしれませんが、社会人になってから交通事故などで脳脊髄液減少症を発症した後、仕事が今までのように続けられなくなった方は沢山おられます。

以前の娘のように身体も精神も働かなくなりエネルギーも奪われた状態の時は当然仕事どころではありませんが、治療後ある程度回復しても、以前の自分を取り戻せない方は多くおられます。

 

その場合、負担の少ない部署に替えてもらったり仕事を辞めることになる場合もあるのです。そうなれば、収入が減ってしまうために、障害年金や生活保護などの福祉に頼らねば生活できません。このような状況になるのは珍しいことではなく、私が出会った中だけでも多数おられます。

脳脊髄液減少症患者さんは家族の支えがなければ大変だと思うのですが、お一人で頑張っておられる方のご苦労は想像を絶するものがあります… 

 

このような状況は他人事ではなく、程度の差こそあれ娘の将来を考える上で、辛いことですが想定しておかねばならないことなのです。

 

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この2~3日、頭痛に苦しめられている娘ですが、明日の発表会出演が危ぶまれる中、今日は、神戸にいた時お世話になって治療科の先生が来てくださいました。

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治療後のマットと治療器

 

治療の甲斐あり、少し元気が戻ったになった娘は、2日ぶりにバイオリンを少しですが鳴らすことができました。が、練習不足のまま、もう明日、発表会です~(*_*;

 

この先生も、若いころに脳脊髄液減少症になられ、その頃はブラッドパッチも普及しておらず、ずっと寝てられて自然治癒に任せられたとのことです。今は普通の感じに見えますが、しかし、

 

「頭痛は少しづつ取れたけれど、今は昔に比べると、5分の1のエネルギーしかない」

 

と言われるのです。ご自宅で、一人患者さんを治療をした後は、横になって休まないともたないのだそうです。

 

このように、運よく「完治」して元の健康状態や生活に近いところまで戻れる患者さん以外の、脳脊髄液減少症になってしまった人間の現実には厳しいものがあります。

 

まとめますと、

 

最後の最期、中3の3月に娘の進路に関して残った選択肢は、現在通う「A校」か通信制しかありませんでした。通信制では、高校卒業資格と大学受験資格は取れますが、英語は受験英語しか学べません。一方、娘の生きてゆく糧となる「英語」を自然な形で伸ばしてもらえる学校は「A校」ということになり、A校は「全日制」であるということです。

 

もしも、娘が英語に縁のない人生を生きていて、現在のような病気の辛い症状が続いていたならば、迷わず通信制高校に進んで、自宅でゆっくりくつろぎながら単位を無理なく取って、マイペースで大学受験を目指しつつ、「自分がこんな体調のままでも生きて行ける道(進路)」も同時に模索していたことでしょう…

 

 

 

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