Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

得たものと失ったもの ~ 学校が決まるまでの葛藤と諦念の忘備録 ①

 

娘は今の学校に受け入れてもらうことで、2年も学習が遅れている上に、まだ満足に勉強ができる健康状態にない自分でも登校が続けられる学習環境に身を置くことが可能になりました。

そして、そこで学習をすることは、今まで自分の将来像を描くことが不可能な世界にいた娘の新たな生きがいとなり、更には次のステップへの希望を口にするまでになっています。

 

私は、娘の心がここまで蘇ったことに手放しで満足をしており、1年でここまで来れたことは奇跡に近いことだと思っています。その意味で、この学校の先生方、そして娘をどん底からここまで導いてくれた運命のようなものに感謝しています。

 

しかし実際は、そのような美談仕立てのような話の陰には、少なからぬ葛藤があり、今でも厳然として私の心には存在しています。娘には過去を振り返る余裕もないしそうして欲しくもないですが… 

 

今更、こんなことを思い出すのは無駄と思われる方もおられるかもしれませんが、今後のために、私たちがこの状況に至るまでの諦めと葛藤を回想録として書き留めておこうと思いました。

 

そうでないと、娘がこんなに厳しい人生を送る羽目にした上に謝罪もない加害者家庭や、責任を回避して娘を暗闇に置き去りにいた学校、特に体育教師と校長が現在の娘の状況を知って、

「あぁ、これで目出度し目出度し…」などと思うとしたら不愉快極まりないですので…

 

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私たちはこういう普通の進路を描いていた

 

娘が中三だった昨年の今ごろは、過眠と睡魔と頭痛、そして高次脳機能障害(記憶・認知の障害)との闘いの中にいました。

 

普通に目覚められ、普通に動けて、学校に行って部活をして希望する学校に入るための勉強をたくさん頑張って、そしてチャレンジして、ダメでもそこからまた新たな希望を設定して…という普通の子供の成長過程を辿れるまでに回復することだけを願っていました。

 

被爆を覚悟で危険な手術を何回もして、サポートしてくれる人や組織がぼちぼち出だして周りの環境も動き出し始めていた頃です。

 

それから私たちは回復への希望を持ち続けると同時に、学齢期の子供には非常に辛い選択も迫られていました。

 

その最大のものが、「高校進学」です。どの家庭でも小学校くらいの時、子供の能力や適性がだいたい掴めてきたら、おおまかな路線を決められると思います。中学受験をすると決めて小4くらいから塾に行く子、高校進学で方向性をはっきりと定めようとする子、或いは学校は度外視して才能で生きていくためにその世界に身を投じる子など、それは実に様々な選択があります。

 

娘の場合、文字通りほったらかしだった小学校時代を経、新聞、テレビ、ラジオとメディアに出ることでかなりの社会勉強をしたり部活も楽しんだ中学1年も終盤に近付いた3月から、「学習塾」というものに初めて身を投じ、今まで真摯に取り組んでこなかった勉強モードに切り替えようということで合意していました。

 

経済状況が並の普通のご家庭のように、公立高校から国公立大学へ進んでくれたらいいなと考えていました。そして、それは本人の気持ちがあれば十分可能だったと考えます。

 

以前記事にしましたが、神戸の街や地域の共同体や中学校(事故までの)が大好きだった娘はおそらく長田高校を志望することになっていたと思います。 

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私の中では京都に戻り「堀川高校」という選択肢も

 実は、私の心の中には高校進学を期に京都に帰って堀川高校を志望する選択肢もありました。

 

兵庫県の高校は内申点を重視するため、一般的な男子生徒と同様あまり細かくなく、感覚的に世界を捉える右脳型の娘には、当日の試験を重視する京都の公立の特殊選抜の方が合っているかもと考えたからです。

 

余談になりますが、5年ほど前までは堀川高校の特殊選抜(探求科)は、内申はほとんど関係なく、学校の成績が悲惨でも当日の試験が良い子、すなわち、「大学受験に強い生徒」を取るという方針でした。現在は、少し内申の比率が上がっていますが、兵庫県と比べるとかなり低く、潜在能力の高い生徒が欲しいという方針は変わっていません。

関係者に直接聞いたところでは、「市教委から内申を少しは入れるように言われて仕方なくそうした」ということ…

 

この堀川という学校は1~2年生の時は、「探求基礎」というかなり本格的な調べ学習の時間があり、この手の学習方法が好きなような娘は楽しんでやるだろうなぁと思ったりもしていました。

 

それらのいわゆる、公立ト上位高校の優秀な友達に刺激を受けながら頑張って勉強をして、おそらく文系だと思いますが、京都や大阪の国公立大学に自宅から通ってくれれば、経済的にも楽だし女の子なのでその点も安心だと、普通の親ならまずは考えるようなそういう進路を思い描いていたのです。

 

娘は神戸が大好きだったから…

 

でも、娘は神戸市のあの中学校が大好きで、あのまま行けば大学進学までは神戸を離れたくないと思っていた可能性は高いです。

 

娘が兵庫県に残りたいという希望があるならば、たぶん性格的には長田高校が合っているだろうなと思い、最終的には娘の意志でどちらを志望するかを決めたらいいなと思っていました。

 

周りの塾に行っている友達との話の中で、「神戸高校」「御影高校」というような名前が出てくる中で、初めはこの地の高校のことは全く知らなかった娘は徐々にこう思うようになりました。

 

「口に出すのは恥ずかしいけど長田高校って自由だしかっこいいな。葺合(ふきあい)高校の国際のほうが受験が楽だし英語を磨くのには捨てがたいしどうしようかなぁ…」

 

まだ1年生でした。

そして、私から堀川高校のことは娘に話す間もなく闘病生活に入ってしまいました。 

 

そして、結果的には、中一の2月28日の体育時に同級に大転倒させられたあの日に、娘には公立の進学校と呼ばれる全ての学校への進路を閉ざされることが決定づけられていたのです。 

 

希望を持とう持とうと思いながらも中2の秋には、「これだけ勉強が遅れたらもう公立の進学校は無理だ…」と悟り、完全に諦めました。 

 

(次回に続きます)

娘の現在を挟みながら数回連載の予定です。

 

 

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