2年3か月ぶりに学校生活に戻った娘から驚きの反応が!
昨日の記事に書いたように、今までとは違った世界の入り口に立った娘は、初めて経験する授業の形式や先生との距離感を既に体得し、ほぼ2年遅れの学力のハンデはありますが、今はストレスを感じることなく過ごせているように見受けられます。
科目によっては1年下の授業を履修し、中学校の義務教育が満足に受けられず抜け落ちた部分を埋めてゆく作業を頑張ってこなしています。
他の生徒さんとも順調に付き合えているようですが、これは、中学校3年間に起こった悲喜こもごもを経験することで「人との距離感」が上手く取れるようになってきたのかもしれません。
このように新学期初めの様々な不安、いえ娘にとっては2年3か月振りに学校社会に戻るという高く聳え立つように見えた障壁をうまくくクリアできたように感じているのですが、その中で驚愕させられたことがありました!
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学校の「授業」を受けることが嬉しくてたまらない娘
今のところ、健康面の不安以外の不安材料がなくなったかに見える娘にある夜、寝る前に軽く尋ねました。
「学校どんな感じ?」
「結構楽しいで!」
「どんなところが面白いの?」
と聞いたときに、お友達関係のことがきっと帰ってくるかと待ち構えていたところ、思いがけないな返答がきました。
「楽しくない授業がないからそれを言うのは難しい…」
なんと、娘にとって今一番充実している時間は、授業を受けている時らしいとこの時初めて知ったのです。
髄液漏れによる高次脳機能障害で、娘という存在の代名詞だった「本を読むこと」はおろか酷い時期には、字を見ることも書くことも、考えることも記憶することもできない状態にされてしまった日々。
そんな中、事故後1年3か月めから、特別支援学校の訪問授業を週に2時間~4時間だけ受け初め、睡魔や頭痛、疲労感と闘いながら、衰えてしまった脳に鞭打って「勉強する」というより「脳を使える状態にする」ためのリハビリ訓練のような生活をしました。
そして、昨年11月の4回目のブラッドパッチ手術により、脳の機能が初めて回復の兆しを見せたのですが、依然、睡眠異常が残っていて2か月近くの入院治療をしたため勉強らしいことはほとんどできませんでした。
そうして、3月末に滑り込みで今のこの学校に受け入れられることで、娘は中学時代に奪われてしまった「毎日学校に行って授業を受ける」という生活をやっとの事で取り戻したのです。
あんな対応をされた中学ですが、娘は事故に遭うまでは学校が大好きで、授業も一生懸命受けて毎日新しい知識を得られることに喜びを感じて生き生きとしていました。
その時のようなキラキラした感覚✨が今、一気に蘇ってきたように見えます。
眠り続けていた脳が目覚めてきた!
長期間使われなかった娘の脳は、新しいことを学び知るという刺激に飢えていたのでしょう。
かなり疲れていても授業に出席したいと思い、頭痛を抱えて帰ってきても、しばらく休んでから臥せった姿勢のまま、休憩と再開時間を自分で決めて、宿題を手を抜くこともせず創意工夫まで織り交ぜて仕上げている姿は、驚きとともに感動すら覚えてしまいます。
2年間の休息と睡眠を要求していた脳が、今は知的刺激を希求しているのでしょうか。栄養失調のようになっていた脳が毎日多種多様の栄養を与えられた喜びに打ち震えているように私には見えるようです。
まだまだ体調は不完全ですが、人が人たる所以の「学び」の生活に娘が順応しつつあるのは、取りも直さず娘の生命力が確実に蘇り始めているのだという感慨を持って、傍から静かに見守っています。
楽しい場所には少々しんどくても心が向かうものです。
気圧が1000hPa以下(滅多にない超低気圧)の今朝は、起き抜けから頭痛と倦怠感が強く、普段ならまず起きられない筈ですが、粛々と準備をし、知的好奇心というインセンティブに引き寄せられるように、学校へと、数々の学びの時間へと確かな足取りで向かって行きました。
まるで、精神が身体を牽引しているようです・・・
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