昨日6月9日の朝5時過ぎに初めての土地で目覚めました。
前夜は、娘のサイクルに合わせて9時半に就寝できっちり8時間です。
娘は最近睡眠時間がまた長くなっているため、8時半まで寝かせて9時半始まりの学校に間に合うように準備をさせます。
自転車に乗れなくなっている…
9時過ぎになり、リュックを背負って自転車で学校まで行くことになるのですが、予想外の事態が発生しました…
なんと、自転車に乗ることができないのです。乗り方を忘れたのだそうです。
ふらつきや眩暈があったため、自転車に乗らなかった年月の長さを実感させられました。
「リュックを背負ったままハンドルを持つとぐらぐらして怖いから歩いていきたい」と言います。
しかし、こんな重いリュックを背負って10分以上歩くのは現在の「髄液漏れのある状態」では御法度なことなので、
「私が校門まで自転車で行ってリュックを先生に渡してくるから、ゆっくり歩いてくる?」
と聞くと、それは嫌だと言います。
仕方ないので、大通りまで私がリュックを背負って自転車に乗ってゆき、そこから娘が再チャレンジしてダメな時は自転車を押してゆこうということになりました。
一番車の多い通りを渡り、のんびりした比較的安全な道の入り口に着くと、リュックを娘に背負わせ自転車にまたがらせました。
「さぁ、怖がらずに体重を前にかけて、勢いつけてスピードに乗ったら大丈夫!」と声をかけながら、まるで「小さな子供が自転車に乗る練習を親が手伝う」ように荷台を両手でつかんで押して走って助走をつけてやりました。
成功!
娘は離陸した飛行機の如く「ピュー!!」と矢のように走り去り、豆粒のようになってあっという間に視界から消え去りました。
怖いな、もしこけたらどうしよう…帰りは疲れてるだろうからちゃんと戻れるかな…
と、あれこれ心配しましたが、午前も午後も無事学校からの連絡もなく、授業が終了する3時半ごろに娘から電話がかかってきましたが、何と…
今度は迷子…
「道がわからなくなった…業務スーパーが見える所にいるけど合ってるかわからない。頭が痛いから早く帰って寝たい」
と言うのですが、業務スーパーは反対の方向に遥か行ったところにあります。
元来た道を戻るように言って、朝分かれた交差点まで走って迎えに行きました。
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やはり頭痛は酷いことになっていた
娘が朝姿を消した地点からだんだん娘の姿が大きくなってきました。
自転車には乗れたようですが、顔色が真っ青なのが目に留まりました。
「頭がすごく痛い。水筒のお茶は全部飲みほしたから、冷たい飲み物を買ってすぐにアパートに帰りたい」ということで途中のセブンイレブンで炭酸飲料を買ってその場で飲ませて戻りました。(脳が下垂している時は水分補給が重要!)
そして、クーラーの効いた部屋で横になってしばらくすると頭痛はましになりましたが、結局この日の頭痛は夜眠るまで続いていました。
オンライン期間中は家ではほとんど横になっていたので、髄液漏れによる脳の下垂が引き起こす「起立性の頭痛」はそれほど酷い状態にならず、むしろ悪天候の爆弾低気圧による「気圧性の頭痛」をしばしば訴えていいました。
ずっと、「調子が悪くなる前に横になる」という風に習慣づいていたからです。
しかしこの日のように、朝9時から午後3時過ぎまでの6時間一度も横臥姿勢を取らないというのは、事故以来初めてのことでした。
小さな学校なので保健室がないらしく、娘も諦めてしんどくなったら机に突っ伏して
頭痛を凌いでいたと言いますが…
このままでは、来週から開始する毎日の登校が時間の経過と共に徐々に拷問のような時間となることが予想されますので、私から学校に相談を入れることにしました。
明日は登校第2日目。娘はすでに夢の中です…
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