前回のバイオリンシリーズの記事で、娘を「メンコン」へ誘い、ずっと憧れて背中を追っていた大先輩の女の子を紹介しました。
今回は、彼女へのオマージュを込めて思い出を綴ります。
Nさんに初めて会ったのは、まずは息子が小2でバイオリンを習ったお教室の初めての発表会です。その時Nさんは、バイオリンを専門とする道を選び既に、有名な大学の先生の所に移られた後でしたが、小さい頃からお世話になったこのK先生の発表会へは毎年参加されていたのです。
このK先生に習った事でNさんを知る事となりました。(ドレスが偶然同じ色!)
お母さまが、私の高校時代、音楽専攻で大学に行った同級生の後輩ということもあり、お会いした時は、私には全く未知のバイオリンの世界のことなど、ご親切に色々教えて頂いたりしました。
「お気楽・お楽しみ組」の娘とは全く異なった道を歩まれており、その時3歳くらいでまだバイオリンを始めていなかった娘ですが、それから毎年、Nさんの演奏を聴いて大きくなりました。そして、バイオリンを始めてしばらく経った小学校高学年くらいからは、Nさんに憧れて、Nさんが年一度の発表会に特別参加をして弾いてくれた曲を弾いてみたいと言い出すようになったのです。
その中の一つが「メンコン」でした。
Nさんは、演奏家になるための充実した毎日を送られました。聡明で努力家で、何よりも穏やかでありながら明るく、誰もが好きになるような人柄が素晴らしいお嬢さんで、先生方にも大変可愛がられ、順調に音楽的な成長を遂げてゆかれました。
そして、ある日、びっくりするようなニュースが入りました。いつも発表会で一緒の舞台で弾いていたNさんが、高校1年生の時に、あの「佐渡裕」さんの「スーパーキッズオーケストラ」に入団されたのです!
それから、退団までの3年間のご活躍は、時折テレビで拝見しておりました。パリの国連へ遠征されたり、2011年の東日本大震災のチャリティーコンサートをされたりと、スーパーキッズの一員として、そして、皆をまとめるコンミスとして、音楽をする者としてはこの上なく幸せで充実した3年間を送られることになります。
指揮者から一番近い、バイオリンパートの一前側にいるのがコンミスのNさんです
その間も予定が合えば、K先生の発表会に来てくれて、娘は、毎年一層輝きを増すこの大先輩と会える一年に一度の機会を、感動と緊張とともに迎えるのでした。憧れすぎて、Nさんに話しかけて貰っても固まっていたのを思い出します。
Nさんのスーパーキッズ時代の映像が沢山上がっていますが、一番Nさんの音がわかるロビーコンサートのものです。
高校卒業時がスーパーキッズオーケストラの退団の時です。Nさんは、音大進学を目指し頑張ってられると聞いてほどなく、京都のK先生から「Nさんの体調が悪くて入院されている」という知らせが入りました。その時は、医療関係の方が身近におられるNさんの事だから、きっと大丈夫だろうと思っていたのです。
それから、一年ほどして例年の発表会にNさんが参加されると聞いて、安心しました。
当日会場に入ると入り口に、佐渡裕さんからのお祝いの花束が置かれていました。やっとバイオリンが弾けるようになって、古巣の発表会に出ることになったNさんへのサプライズだったのでしょう。
控室にNさんがお母さまと入ってこられました。一目見て、大層痩せておられる姿に驚きました。お母さまとお話をさせて頂くと、「癌」を患っておられ、かなり深刻な状況で、現在は食べる事ができず、苺なら入るのでそれを食べさせている、ということでした。そして、とても辛い筈なのに、本人は一言も泣き言をいわないのが、親として切ないともおっしゃっていました。
その頃は、こちらの息子の体調も原因不明で治療方法が見つからず10年の間に酷い状態になっておりましたので、小さい頃の息子をご存じのお母さまは大変心配そうにその話なども聞いて下さり、お互い、「子供の病気が快復することを祈りましょう」と励まし合ったのでした。
当のNさんは、いつものように穏やかな明るさを失わず、バイオリンの練習もままならないほどの体調なのに、娘にも笑顔で接して下さり、娘は相変わらず緊張で固まるといういつもの情景でした。
Nさんのソロは椅子に座っての演奏で、モーツァルトのバイオリン協奏曲3番の1楽章を弾かれました。とても明るい曲調で、彼女の人格を表すような朗らかで春の訪れを告げるような幸福感に満ちた演奏でしたが、彼女の心のうちの思いが込められているようで聴いていて涙が出そうになり、こらえました。会場の多くの人がそうだったと思います。
そして、発表会の最後には、Nさんも加わって、全員でのヘンデルの「ハレルヤ」の合奏となりました。スーパーキッズオケと同様にNさんはここでも「コンミス」。 ビデオを観ますと曲が始まる前に手を上下に振って皆にテンポを教えたりしてられます。
Nさんは、穏やかに微笑んでられますね。何よりも音楽が大好きで、バイオリンを熱烈に愛してこられた人です。バイオリンを演奏される時は本当に幸せを感じてられたのだと思いますが、この日のNさんの胸中はNさんにしかわからないものだったのでしょう…。でも、私には、やはりNさんが久しぶりに演奏の場に身を置かれ、復帰に向けた希望を感じてられたように思えたのです。
この後、楽屋で、子供たちに残ったお菓子を配る際、苺のチョコレートがありました。
お母さまから「苺しか食べられない」と聞いていた私は、咄嗟に、この苺のチョコレートをわし掴みにして他のお菓子もいくつか混ぜて紙に包んで、「Nちゃん、苺好きなんやろ、これ食べて元気になってね!」と、Nさんに押し付けるように渡してしまいました。
チョコレートなどとても食べられないのに、私のこの無神経さに対しNさんは、
「テンション上がるわ!このお菓子、前から気に入ってたんですよ!帰ってからよばれますね!」
と笑顔で、返してくれたのです。
この日は、2015年12月26日のクリスマスコンサートでした…
年が明けて、2月後の2月の半ば、K先生からメールが入りました。
「何だろう?」と思って、開けてみたら、そこにはNさんの訃報が入っておりました。
2月14日、バレンタインデー、「愛の日」にNさんは、旅立たれました。
葬儀の日、娘が学校から帰るとすぐに「通夜」の営まれる京都の式場に駆け付けNさんにお別れをしました。
スーパーキッズオケの弦楽器パートの仲間たちが奏でる音楽の中でのお別れの夜でした。
お母さまはご気丈に、出口の近くでご家族と供に会葬者へのご挨拶をされておりました。
娘と2人でお母さんの前まで来ると、「くららはNちゃんに憧れて、その背中を追って来たのに…」とだけいうと、大泣きしてしまいました。
お母さまは、「息子さんのこと、お辛いのはよくわかっていますよ。息子さんが良くなる事お祈りしていますから頑張ってくださいね」と、私の手を握り、逆に励ましていただく形になり申し訳ないことをしてしまいました。
娘は、静かに棺に横たわるNちゃんを見てから、ずっと青ざめて、ショックで思考が停止したようになり、神戸へ戻る電車の中でもほとんど話をしませんでした。
でも、その夜の夢にNさんが出てきてくれて、笑いながらこう言ってくれたらしいです。
「くららちゃん、バイオリンもっと頑張って練習しいゃ!w(^_-)」
それで、娘の悲しみも少しほぐしてもらった感じになり、いかにもNさんらしい優しい気遣いを感じてしまいました。
お通夜でお会いした時にk先生が涙ながらに言ってられた言葉ですが、
「Nちゃんは、ものすごい密度の濃い経験をして、人生を駆け抜けていきましたね…」
その通りだったと思います。残されたご家族の辛さは言葉に言い尽くせませんが、Nさんは、音楽の神に愛されてこの世で最高の軌跡を残し、余りにも人格が優れ、余りにも美しい音楽を奏でるものだから、神様に気にいられすぎて、20歳という若さで召されていかれたのかもしれません…
次の発表会はNさんがおられない寂しい発表会となり、k先生もお辛い中での準備だったことと思います。
娘は、Nさんへの追悼の意味を込めて、かつてNさんが弾かれた「メンコン」を弾きました。
そして、恒例の先生とのアンサンブルですが、示し合わせたわけではありませんが、黒と黒に近い紺色で、Nさんへの気持ちは同じでした。
この時からもう3年以上が経ち、その間、娘にもいろいろありました。
Nさんが今の娘の様子を見たらどう思われるでしょうか…
きっとこう言ってくれるに違いありません
「くららちゃん、バイオリン弾くのって楽しくて素晴らしいで!また頑張って練習しいゃ!w(^_-)-☆」
*Nさんの写真やビデオは、あまりにも辛すぎて今まで封印していました。最近やっと娘のバイオリンへの心の封印が解けて、昔の写真や演奏動画を観る事ができるようになり、そこから、自然にNさんへの思いが溢れてきたのです。既に知名度のある方なので、明るい笑顔のお写真はそのまま使わせていただきました。
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