昨日は、私達にとって大事なメモリアルの日でありました。
2年前のあの日、娘は学校から足を引きずるようにして帰って来ました。そして体育の時間に何が起こったかを、滔滔と訴えました。
酷い転倒をさせられたのにも関わらず、その後の、相手側の態度が言語道断のものであったことに腹を立てていましたが、「まぁ、いつものことだから、仕方ないわ。言ってもどうせわからないから」と、ちょっと変わった特性を持つ友達のおかしな態度を許す気持ちになっていました。(後に事故担当の先生が介入して、この態度の点だけ限定で「ごめん」が来ましたが…)
翌日、つまり2年前の今日、起立性頭痛が始まり、それからは脳脊髄液減少症との長い闘いが始まりました。
翌年のこの日は、娘の容態はどん底で、鬱病+昏睡睡眠真っ只中。家の中には2人でいましたが、何も言葉を交わすこともできないので、実質私は1人暮らしでした。状況は動く気配はなく、唯一「神戸新聞に掲載されるかどうか」に希望を繋いでいました。
もし新聞が動いてくれなければ、「この先娘の運命はどうなってしまうのか?」と思い、「このまま隠蔽されることになるならどうしよう…、娘をこんな状態にされたままなら、悔しすぎて生きていくことはできない」という心境であり、色々想像を逞しくしておりました。
*メディアに、手紙をしたためた上で加害者の家の前で、ハラキリをする
*メディアに通知した上で、学校の正門の前で、ハンガーストライキをする
*自分の命と引き換えに、娘をこんなにして逃げた一家に呪いをかけてもらう
*「ちちんぷいぷい」に連絡をして廃人となった娘を取材してもらう
*ユーチューブやTwitterで喚く(わめく)
まだ、いろいろあるのですが、これらの方策を取るところまで実際に追い込まれることがなくて本当によかった…
その後、数え切らないくらいの期待と失望を繰り返し、その間、娘は辛抱強く治療を受けてきました。
私にとっては、娘が、忘れ去られないようにするための闘いとなりました。長い交渉の末の新聞掲載、生活を圧迫するほどのブログ経営と周知活動、病院、医師、学校、教育委員会各方面へと、ある時は頭を下げ、ある時は憤然として理不尽を訴え、やっとここまでたどり着きました。
この思いが天に届いたのでしょうか・・・昨年3月からの1年の間に、天地がひっくり返るほどのスケールで事態が大きく動き、人間の悪い本性を嫌という程知った後、今まで出会ったことが無いような良い方々、また同病の患者さんとの助け合い、そして、私という、生まれながらの「一匹狼」的な人間を理解して下さる人達との出会いもありました。
ここまで、私たちを支えていただき本当に有難うございました!まだまだ、暗い想念が鎌首をもたげる事はありますが、昨年とは比較にならない穏やかな心持でこの日を迎えることができたのは、他ならぬ、周りにいてくださった皆様のお陰です。m(__)m
2年目の記念日の昨日、娘は、完治こそしていませんが、病院の中で子供の集団に戻り、語り合って、笑って、おいしいごはんを食べて、勉強もちょこっとして、スマホにも、音楽にも依存することなく、文字通り健全な毎日を過ごせています。
それは、一年前の、真っ暗闇にいた私たちには想像できなかった明るい光景です。
先ほど娘から(次に来るときに〜持ってきて欲しい!)の電話があって、びっくりの報告がありました。
「朝、伸長を計ってるのだけど、だんだん伸びて、168cmになった!」という事です。
朝身長は高めになるので、その分を割り引いても、入院後に確実に伸びています。
早寝早起きして(夜8時にベッドに入り朝6時に起きる)バランスの良い3食を食べさせてもらって、適度な運動をすることで、止まっていた身長がまた少し動き出してのでしょう。
やはり、睡眠というのは、子供の成長には大事な要因になるのは確実ですね。ついでに、髄液の漏れも硬膜の再生機能が向上して完全に塞がってくれたらいいのですが。
ただ、頭痛も時々でるようで、今日のような天候の悪い日は注意が必要なようです。
スポンサーリンク
一方私の方は、ストレスと過労のためか、親知らずが細菌感染を起こし、頭痛と歯痛、そして軽い発熱で眠れず、頬も腫れてきたため、昨日はとうとう病院へ行きました。
智歯周囲炎と呼ぶそうで、放っておいて感染が脳や、リンパ、顎、胸部までゆくと大変なことになり、昔は命を落とした人も少なくなかったとか、怖い話を聞きましたので、観念して苦手の抗生剤を始めました。
いつアレルギーが出るかわからないので、量は少なめにして、例の漢方にもお世話になります。右の「排膿散及湯」です。口腔内の細菌感染による化膿や炎症によく効くようです。左の麻黄湯は、私にとってインフルエンザの特効薬です。
無理をして他人に関わりすぎたり、ブログを夜中に書いたりすると、免疫低下気味になり色んな怖い病気にかかりそうですので、ペースを落とす必要性を感じた一件でした。
ということで、娘の事故の2周年目の記念日の昨日は、痛みでウンウン唸って、ロキソニンを飲んでなんとかやり過ごす、という悲惨な一日となったのでした。
でも、「娘よければ憂いなし」なのです。
皆様の 声を届けてください! 娘への励ましとランキングサイトからの病気の周知活動の爲、下の小さな娘と野生ネコの画像それぞれに毎日「ポチポちとクリック」をお願い致します!