娘は、心身に大きな傷を与えられた結果、中学校に登校することができないまま、近いうちにここ、神戸を去る事になりそうです。
その一方で、 2018年2月28日の学校事故で、一人の生徒を、故意ではないとはいえ、「不注意と過失により」重大な病気を発症する怪我を負わせ、登校不能にして、高校進学もできない状態にし、果てしなく、いつまで続くかわからない治療と、かなりの確率の後遺症への懸念を与えることになる原因を直接作った生徒は、結局、学校と私達に守られて、無事、中学校生活の終盤を迎えることになります。
学校は、事故の当事者であるこの生徒に類が及ばないように、最善の努力をされたと感じます。
当初、学校は「娘が何故学校に来れないか」を生徒に向けた説明をしませんでした。娘が休み始めて間もなく、1年の担任に対して、私が作成した「お手紙」を渡ししました。
「あの授業中の事故のために娘が長期間休みことになっています。それを知ってもらわないと娘が可哀そうですので、クラスの子供さんの前で読んでください」と言いましたら、その先生は顔を歪めて、
「事故ぉ??????!」
という、実にこちら側からすれば不愉快極まる態度を取られました。
そして、その先生は、「学校内で読める形に直して伝える」というふうに答えられたのですが、検閲後にどのような形で読まれたかはわかりません。
しかし、その後の生徒さんの反応からは、「事実は何も伝わっていない」のだと思います。生徒は、娘が学校に来られなくなった陰に、他の生徒が関与していることを全く知らぬままです。その意味で、加害者側のある生徒は最後まで守られていました。
それは取りも直さず、被害者側である娘の名誉が切り捨てられたということを意味しました。
当初、1年待ち続けました
その後、娘本人にも家族にも、この重大な被害に対して、どこからも一言の謝罪もないという理解に苦しむあまり頭がおかしくなりそうな状態のまま、長期間が過ぎていました。
加害生徒の方は、その保護者が早々と謝罪拒否の態度を決めた時点で、この事件からは解放された気持ちになっていたと思います。
もしも、娘が学校に少しでも行けていたら、この生徒も現状のいびつな道義的矛盾に居心地の悪さを多少なりとも感じていたかもしれませんが、娘がもう来ないだろうとわかれば徐々に記憶から消え去り、何の恐れもなくのびのびと学校生活を満喫できたことでしょう。
娘の不在が、この生徒がストレスなく学校生活を送る事に大きく貢献したのです。
この地の一般的中学生は、部活に、勉強に、塾に、習い事に忙しく、それをこなすのに必死で他人の事どころではないのです。更に、「去る者は日々に疎し」ですから、娘の事など、思い出すことがあるかどうかさえわかりません…
翌年の冬になり、娘は1日中ものをいう事も殆どなく、眠り続けます。
事故からもうすぐ1年でした。この家の中以外は既に平常化し、娘は廃人状態にされたまま私の目の前にいました。
これだけ長い間待ったのです。でも、加害者側からも学校からも何もありません。
そこで、娘が今後、人間らしく生きるための権利を取り戻すために捨て身で行動を起こすことに決めたのです。
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新聞やブログに載せた思いも何も届かなかった
でも、結局、この学校事故に関するこちらからの一連の、「社会への働きかけ」は多少の周知の意味はありましたが、これによって加害者や学校側に動きがあったわけではありませんでした。
ブログにしても、学校事故関係者には読まれていない気がします。
昨年は、娘の父方祖父と母方祖母の2人が亡くなりましたが、学校の先生からの年賀状が来ていた事からブログは読まれていないとわかりました。(読まれなくて良かった面もありますが・・・)
年末に来てくれた生徒さん達も、ブログの存在も知らず、よって事故については何も知らない様子でした。おそらく、今まで同様、学校の中で娘は不登校のような感じで捉えられているため、加害生徒が、この事故を意識しなくてはならないような空気は無かったでしょう。
学校内では、この事故は確実に周知されておらず、また、外部からこちらが新聞やらブログで頑張りましたが、あまり届いていないとわかり、力及ばずかなり落胆はあります。「娘の名誉回復」という目的の一つがが達せられないまま、無念ですが、間もなく中学校は終了となります。
加害生徒の中学生活の安寧を守りました
新聞でも、ブログでも加害者本人を特定できない形にし、「娘の名誉と人権の回復」と、「脳脊髄液減少症になった苦しみ」を伝えるために書き続けてきました。
そして、法的手段にも訴えませんでした。もしも、こちらが早い段階で立ち上がっていたら、この生徒は、「当事者」として在学中に訴訟に関わる事になっていました。
中学生は、「責任判断能力を持つ」とされ、保護者ではなく、本人の名前が「相手方」として書かれる事になるのです。
「この生徒の、中学での学業や学校生活、そして高校受験に大きな差し障りがあってはならない」とこちらが判断した結果です。
こうして、結局、新聞もブログも、教育委員会の様々な判断の方には多少影響力があったかもしれませんが、加害者が、こちらの窮状を知って、人間的な憐れみや同情心、そして良心の呵責を感じて、歩み寄ってくるきっかけとはなりませんでした。
おまけに、私達被害者は近いうちに、娘にとってはトラウマに満ちた土地となった神戸を逃げるように離れるしかないのです。これも「加害生徒」の精神の平安を守るために多大な貢献となります。
今後もここ、神戸という生活の場で私たちに出会う心配もなく、高校、大学、就職、と、つつがなく成長されてゆかれることでしょうか…
「信じて待つ」ことが、無力で無意味だとつくづく感じた2年間でした
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