学校事故被害者である娘が学校へ戻るために最低必要な学校側の対応ができていないという確信を、昨日までの記事にしました。
この記事について、読者の方から、非常に示唆に富むご意見をコメント欄に頂きました。埋もれさせるにはあまりにも勿体ないのでここでご紹介させていただきます。特に、「学校関係者」の方への真摯な呼びかけとなっております。
(色付文字、下線は筆者による)
学校関係者もお読みになっていますよね。文句を書きます。藤田さんごめん。 先生の理解も不十分、当事者や取り巻く子どもたちに説明も不十分である状態を学校が変えないなら、登校することでうつ病などを発症・悪化させる可能性が高いと思います。 今無理をしている、無理をすればこじれさせるような事だという判断は保護者でも全てわからないので、お友達が来宅して本人が感じた事は重要だと。 だいいち学校から十分な説明も謝罪も無く、体育の教科担当者が不在なら座学や自習に変更する判断もせずに起きた負傷なので、当事者同士の対話や謝罪による解決は学校から提案されるべきではない。授業中の安全管理は学校ですよね。 授業中の負傷であるのにちょっと学校が関与しなさすぎでは。 保険の支払いだけではないでしょ。 本人同士の「ごめんねといいよ」の問題どころではない。 学校側のごめんねもまだなんじゃないですか。 加害側もこんな状況を授業で作った学校に何もいう事はないのですか。 卒業式が過ぎたら、報告書でおしまいにするのでしょう。 その後の対応窓口はどちらになるのですか。 回復には年単位という病気とお分かりになってるのでしょうか。
ここまでは、「私が、長々と3記事ほどかけて訴えかけたかったこと」を、見事に素晴らしい端的な文章にしていただいております。
そして、次に、現在の私からは発信される事はなかった、「加害者側の心理状況」についても経験、観察されてきた立場から書いておられます。
学校の先生がたは 加害生徒本人が本当に平気だと思っているのですか? 私の娘は幸い登校できるようになりましたが、鞄は保護者が教室の入り口まで持っていったので様子がわかるのですが、 予鈴で着席していた加害生徒は保護者と目が合うと椅子に座ったま漫画のようにびくっと飛び上がりましたよ。 友達とおしゃべりしていてもこちらに気づくと視線を泳がせて顔を背け。 駅で見かけても同線が交差しないような位置へ行ってしまうし。 授業で友達の発言に意見を書いたものがありましたが、娘宛のものを複数並べると1人だけ色合いが 全く違うものがあり、返して名前を見る前にその子だと明らかにわかる。 幼稚園の頃から知っている子なので、大人になってきてもその子は分かりますが、すれ違うのも避けていると。 保護者の方、あなたの子供がこんな大人になってしまっていいのですか? このまま学校が放っておくと、今は表面に出ませんが今後の人生に影響が何も無いとは断言できますか
この読者さんの場合は、学校から逃げず言うべきことを言い、子供さんができるかぎり登校できる 環境を作るための交渉も含めて、果敢に「学校で起こった事故」に対処してこられました。
この学校は、何故か、怪我をした生徒とさせた生徒をずっと同じクラスにしていたため、加害者生徒の方も、ある意味、大変居心地の悪い状況であったことは想像に難くなく、お互い緊張状態の中で学校生活を送っていたと思います。
このように、学校はしばしば「おかしな対応」をしてしまうのです。なぜそうするのかというと、
学校が良いと考えるシナリオが、いじめっ子といじめられた子を握手させて決着とするようなものになりがちで、かえって気持ちが落ち込むこともあるため、 学校へ意図を質問できるチャンスがあれば聞いておいた方が良いし、こちらが望まない対応をしようとしているならお断りしても良いのでは。 ウチの娘とケガをした時に柔道で組み合った子たちとは何故かずっと一緒のクラスで、これは体育の先生がお互いに握手させて問題解決としたくてチャンスを多くさせたのか?先生はそんな事は忘れていたのか? あちらも子どもは言動が荒くなり保護者が担任に相談していたらしいので、とても変な状態を学校が作っておりました。 4月も始業式前にクラス編成表を見た時点で指摘していたのに訂正もせずそうだったので謎です。
というご説明で納得がいくと思います。学校は、「ちびっこ小学生同士のいざこざ」と同じレベルの対応を取っているとしか思えません。今回の娘の事故においても、本当に深刻な事が起こったのだとわかっておられるのだろうか?という対応でした。
ひいてはこちらの場合、加害者からの謝罪がなくても、その後の学校の対応や精神的ケアががきちんとしていれば、こんな状況(娘の心のトラウマ)にはならなかったと思います。
「先生たちは、私を見捨てない」という安心感があり、学校全体が自分を色んな方法で助けてくれようとしていることを感じられていれば、どれほど違っていたでしょう。
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しかし、現実は、
事故後間もなく、加害側家庭に、学校の先生が事情説明に行き、その場では「すぐにでも謝罪に飛んでゆくような様子」だった保護者が、4~5日経ってから、様子伺いに現れ、「謝罪の言葉は絶対に口にしない」という、明らかな意志が見えるなど、態度が豹変します。
その時までは、「くららちゃんが学校に来れなくなったのは、あの時私がこかしたことが原因かもしれない」と、それまでに口にして大変気にしていたという生徒ですが、この大人たちの方針の転換により、この時点で、この子供の気持ちは蚊帳の外となってしまいました。
それは、加害側の家庭の事情ではあるのですが、そうと知った時の学校の態度が、
「おかしいですねぇ…どうしてでしょうねぇ…」で終わっていたという事が問題なのだとこのコメントを読んで改めて気づきました。
加害者からの謝罪云々は、今回の「授業中の事故」という性質上、一番大きな問題ではないのですが、こちらの心情、特に娘にとっては、大変大きな事でした。
病院での施術の痛みに耐える時に特に思い出したと言います。「私はこんなに痛く苦しいことに耐えているのに、あの子は、知らん顔で学校に行っている」と。
でも、そんな時に、学校の先生が一人でも病院に来てくれて、「色々腹が立つことも辛いこともあるけど、先生は応援しているから頑張れ!」とでも言ってくれていれば、様相は全く違っていました。
学校がするべき大切な事は他にもあり、自分たちの(どう考えても逃れられない)責任を認めたのであれば、まずは、学校長、そして一番の責任ある立場の体育教師が出てきて、事情説明から謝罪となるべきなのですが、何故か、加害側の謝罪拒否の時点で、この事件は事実上幕引きのような形になってしまったのです。
もしも、娘がこの読者さんの娘さんのように学校に少しでも登校していたならば、それはそれでお互い大層ギクシャクした関係になって、この読者さんのケースのように気持ちも荒んでしまったかもしれません。
しかし、加害家庭には幸か、こちらにには不幸にも、娘は寝たきりになるまで悪化し、精神的な傷も相まって学校に行ける状態にはとうとうならず、結果的に、事故後2か月ほどで学校から存在が消えてしまうこととなったのです。
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