夢の示唆したもう一つの本質的問題
では、
私の目で見て取れる娘の現在の無気力や、将来への建設的な意識の皆無について述べた。
病状が、昨年9月くらいから今年4月までの「18時間以上の昏睡状態の過眠」に比べると、遅々とではあるが、確かなる改善がみられるようになるのを見て、私は動きだしたのであり、その一環として特別支援学校からの支援を求めた。
しかし、現在の改善の限界点も既に見えており、「無理をさせたり、不安やストレスを与えてはいけない時期である」点は十分留意しながらの声掛けを少し前から始めているが、娘の耳には私の声は入らず、当然心にも届かない日々が続いている。
娘の心情を一言でいうと、「諦め」なのであり、もしも私はあの夢を見なければおそらく、その一つの言葉で娘の今を捉えていたことと思う。
しかし、娘の静かな諦めに覆い隠され、周りからは完全に見えなくなっていたものを夢は教えてくれたような気がする。・・・それは「怒り」だ。
破壊夢の教えてくれたこと
自分には一点の非も無い事故により、「中学校生活」のように目に見える物のみではなく、一瞬にして自分の日常や幼少時からの積み上げてきた無形財産を奪われた。
それは、即ち、フランスの社会学者ピーエール・ブルデューが言うところの「文化資本」であり、私が娘を育てる上で最も価値を置いてきたものであり、どんな大金を積んでも一朝一夕には手にできないものである。
そのような大事なものを全て奪われた人間の心に、「怒り」が存在しない事はあり得るだろうか?
宗教的な悟りの境地にある徳の高い人間ならともかく、普通の人間ではそんな事はあり得ないのではないか。
とすれば娘の中に当然内在しているはずの「怒り」はどこへ行ってしまったのであろうか?
娘は、当初、事態がこれほど深刻になるとは思わない時期には、愚痴をこぼすことがあった。初めは「こんなことになってしまったせいで、卓球ができなくなってしまった」とか、2年の時は「本来だったら、~にも行けていたのに・・・」とか、である。
しかし、昨年五月の淡路島の研修旅行に行けなかった時を境に娘の心は変わったと思う。その時期に不安定になっていた娘。まさに、「自我のクライシス」の時期であった。
あれれ、「娘の心が崩壊した日」の最期に 、娘が自分で言っていたことばが書いてあるのを失念していた。娘は、現在までこの言葉通りの毎日を送っていると思う。
~あまりに辛いことは身体が元気になるまでは、心の奥に封印するに限るのだ~by娘
淡路島研修旅行の一件の後は、しばらく鬱状態で、「一人になりたくない、一人でいると色んなことを考えてしまうから」と言っていたが、沸き起こる不安や焦り等の感情をも徐々に影を潜め、表面上は「心理的には安定」の小康状態が続いたように見えていたので安心していた 。
皮肉なものだが、心理的な小康状態を支えたのは、身体症状の悪化であった。人間、あまりにもしんどい時は心の悩みにまで意識が及ばない。その上、頭はボケてしまって、おまけに殆ど眠り続けていたのだから。
娘の心の変化
そして、4月中旬になって少し起きて何かできる時間を久しぶりに持てるようになり、娘は何かを「考えられる」余裕が出てきたのかもしれない。その時に、自分の心の奥底にしまい込み、置き忘れたようになっていた正体のはっきりしない重い思いの存在に気づいてしまったのか・・・
娘が時々通う整体院の先生は、身体を触ると心の問題まで見える不思議な人のようだと最近わかってきたのだが、「身体の辛さだけでなく、精神的にものすごいストレスを抑え込んでおり、それで疲れ果ててしまい何の意欲も持てず無気力になってしまっている」と言われていた。
そして、5月になって、こちらが何も話していないのに、その先生は、「最近、お母さんに反抗するようになっていますね。厭世的になってしまっており、親に対する感謝や尊敬の念さえ薄れています。思春期によくある親への態度の変化とは少し違います」と言われた。
これには驚いた。まさに、今私と娘はまさにそういう関係にあるのだ!私に対して、少しの事で声を上げて怒ることがあり、昨日などは私の一言にいらいらして物に当たり散らしていたのだ。そうして、その後は何事もなかったように音楽を聴いている。
これを好意的に捉えれば、あの「昏睡状態18時間or more」の、身も心も死んだようになっていた時期を考えると、いらいらしたり怒ったり、人間的な感情を表に出せるエネルギーが戻ってきたということであり、それはそれで喜ばしい限りである。
しかし、普段は、まず、笑わない。全く笑顔を見せることなく、いつも音楽を一人で聴いて口ずさんでいる状態だ。
このような娘が見せ始めた変化の深層にあるもの、おそらく、
諦めの中に閉じ込められた逃げ場のない怒りが動き出し発露を求めている
・・・それが私が見たあの夢の正体ではないのであろうか?
破壊夢の解釈
これに関して、コメント欄にそのあたりの素晴らしい解釈をいただいたので、引用させていただく。
「先日、ご覧になった夢はリアリティに溢れていましたね。 今回の形而上学的な記事を拝見して気がついたのですが、もしかしたら私も先日の夢について詳細に書かれた記事を読んでいる間は私もお母さまに一体化していたのかもしれないなと思いました。 冷たく麻痺したかのように何も感じられない心。 だけど激しい衝動があって、早くガラスを割ってしまわないと苦しくて心が破裂しそうで、誰かに助けてほしかったです。それでも、声にならないような苦しさがありました。・・・」
(5月15日「学校廊下のガラス窓を木製椅子で叩き壊した私(その2)「私=娘」即ち「梵我一如」」へのあこ様からのコメント投稿より抜粋)
諦めというガラスの中に閉じ込められた心から、怒りが噴出しようとしているのか?
それは「苦しい衝動」ではあるが「怒り」だと断定するのは私の立場ではない。
しかし、普通の人間なら当然抱えるであろう怒りは、封印され、原形をとどめないような密度の高い青黒い冷たい塊になって諦めのガラスの覆いのなかに置き去りにされているのであろう。
「忘れよう、忘れよう、そこに意識の光を当てると苦しみが蘇るだけだ。そして、そのどす黒い青い塊を押し込めた封印を解いてしまうと、それは対象を持つ憎しみとなり怒りとなり、その負のエネルギーの激しさは自分へも向かう刃(やいば)となってしまう」
自分は、中学生としての時間を失い、空間を失い、体験を失い、かつての夢も目標も頓挫した形になった。そのことを娘は、自覚している。自分を「原状回復」することは不可能であるとも。
それは取り返せないものであるから、今は不平不満を全く言わない。唯一見せる感情の起伏は、一番心を許せる私への苛立ちであり、それはおそらく自分でもネーミング不可能なものなのであろう。
その意識下の、暗く冷たい場所に封印された黒い塊の中に閉じ込められた負のエネルギーは、何かの拍子に活性化をし始め、それは渦を巻く「憤怒」となって、ガラスを破り外の意識へと戻ろうとする。
しかし、そうしたところで、その怒りは行き場がないのだ。
事故の当事者が皆逃げていなくなった中で、自分一人が空(くう)に向かってどのような激情を投げかけても、何の反応も返ってこない。
そこで生まれるのが、あの夢の中で、私=娘が2枚目の窓ガラスを割ろうとしても、ゴムのような抵抗を持って割れなかった、あの無力感に似た諦めであろう。
現在を起点として、不運な過去を1部足りとも変えることも出来ず、一週間後の見通しも全くつかない不安定なてこの支点のような今がある。
このような、「何の拠り所のない」不安定な時空の上にいる限りは、余計な刺激を与えないように感情を無にして精神のバランスを保つしかない。怒りの発露により、バランスを崩してしまうと更に黒い深淵へと落ちてゆくのだから。
だから、自分の心の中にある、この青黒い冷たい塊の封印を解かないように、ガラスのバリアを張ってそれに触れないことにより、自分の正気を守ろうとするしかないのだろう。
今は、音楽を聴くことで自分の心が動かないように必死で抑え込んでいるしかないのかもしれない。
大日如来と不動明王
ここでやっと、前回より掲げてきたエニグマのような仏像画像の謎解きである。
破壊夢についての解釈は最終的にここに帰結するのかもしれない。
娘の中に、自分を地獄に突き落とした者全てを「諦め」と「忘却」により赦そうとしている自分と、自分という「子供」に対して人の道に外れた非道を行ってきた全ての者に対する内在化した「怒り」を持つ自分という、分裂した二人の自分がいるのかもしれない。
娘の生まれ年の守り本尊は大日如来である。 そして、不動明王はその大日如来様の化身なのである
このような自分を引き裂く自己矛盾は、仏様でも「化身」という形をとって現れるしかないのかもしれない