4月のその日、私の電話を取ってくださったのは、とある市立特別支援学校の教頭先生であった。
電話口での対応が今まで経験してきた、もっぱら形式的なものとは明らかに違った。心から、娘のことをを気の毒に思ってくださり、「教育を受けていなければならない中学生が、一年間以上も無為無策で放ったらかしにされている現状」に驚かれ、「何とかならないだろうか?」と、本気で心配して下さった。
その後にかけた支援学校の教頭先生の対応は対照的だった。それは、どうしようもない悲惨な状態におかれている生徒の、藁をもつかむ気持ちで支援の糸口を探す保護者に対する対応ではないと感じた。
このような人物の仕切る学校には、今の状態の娘を預けるのは不安だと思った。
私は最初の心優しいヒューマニズム溢れる教頭先生のもとで、娘が今の心身の状態で、できる範囲で人生を取り戻してほしいと心から希望していた。
そうして、市教委から嬉しい知らせが入り、次いで、今までいた中学校から、手続きのための呼び出しが入った。
驚いたことに校長室に通され、事故以来、初めてこの学校の校長先生と対面した。
校長先生は、転校後もできる範囲で娘をフォローすると申し出てくれた。
まだまだ「勉強」ができる状態ではない。しかし、「授業」にならなくても、布団に横になりながらでも、学校の先生に色んなことを語りかけていただくことで、「自分は、まだ15歳になったばかりの中学生で、これからたくさん知識をつけて、無限の夢を持って、まだまだその夢を追いかけることができるのだ」ということをどうか思いだしてほしい。
私には開ける事が叶わないままの、娘の固く閉ざされてしまった心を、沢山の温かい心の数々が、娘がかつてそこにいた、明るい世界へと連れ戻してくださることを願ってやまない。
春の日差しで万年雪が少しずつ溶けて、そこから凛とした青い花が立ち咲くように・・・