Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

学校事故×脳脊髄液減少症のコンボで救済なしに・・・(その2)

前回続き)



しかしである。ここでもう一つ不可解な制度上の不備がある。


この事故がもしも学校外で起こったものであったならば、上記の全ての治療費は事故を引きがねとなった生徒の個人賠償責任保険によって簡単な手続きで補償されていた筈だったのだ。


例えば、公園で遊んでいた時に今回のような事故が起こったのであれば、相手方の保険会社から治療費は「個人賠償責任」の範囲として給付が認められていた。しかし今回のよう学校内の、それにも授業中の事故で、教育活動やこれと密接不可分な活動に伴って生じた場合は、「監督責任」や「管理責任」は全て学校にあるとされ、直接の原因となった生徒の保険会社からの支払い義務は生じないということなのだ。

では、今回のような授業中の事故で監督責任を負うとされる学校側に、全ての責任を負う能力とそれを可能にするシステムは存在するであろうか?  答え:ありません

学校での事故は、スポーツ振興センタ―によって保険治療で立て替えた分は少しのおまけをつけて還付される。しかし、それはあくまでも保険診療分のみで、今回のような自費診療で発生した費用に対しては1円も出して貰えない。これは、事故の状況の如何にかかわらず、例外なくそうであるとスポーツ振興会にも教育委員会にも直接電話で確かめた。「症状や画像以外の検査値は脳脊髄液減少症の病態を明らかに示している」と何度も訴えて懇願したが無理であった。

その他、学校から支払われるものについては、互助組合からの見舞金があるが、これは一疾病で上限10万円だけである。この給付は現在までのところ9万円、あと一万円も間もなく支給されるようだが、今後、どれだけ治療費が増えていっても、もう一切出ないということだ。


結局、学校で起こらなければ画像診断が無くても、相手方の個人賠償責任でカバーされていたのに、「”学校の授業中”という事故発生の場」に邪魔をされて、それが給付されず、それなのに、その監督責任があるとされる学校は責任を果たす術も意志さえももたないのだ。

学校に責任があるとされるが故に、本来なら貰える相手方からの補償が不可能となるのならば、学校が
子供を治療するのにかかる費用を、保険診療や自費診療にかかわらずに面倒を見るのが、いわゆる「責任」というものではないのか?


☆加害者の保険会社→ 学校の授業中に起こった事故なので、こちらは払えません(終わり)
☆学校→ 監督責任は確かにありましたが、自費診療分は払えません(終わり)

上記の二つの保険制度の不備により被害者は、ブラックホールに投げ込まれるのだ。


つまり、

娘のケースは、学校内で起こった事故 
× 画像無しの脳脊髄液減少症
であるがゆえの経済的悲劇の側面も持つのである



学校の授業中に起こった事故で、一点の非も無い子供がどこからも守られず、人生の中の貴重であり楽しいはずの時期を奪われたのみでなく、家族もその日以来時間が止まったように喜びや幸せといった感情から見放され、それに追い打ちをかけるように、恐らく100万に届くと思われる経済的損失も蒙ることがあるなんて、日本のこの豊かな文明に浴している人のうち、一体何人が気づいているだろうか? 


親が学校を信頼して子供を預けても、子供が多くの無意味とも思える規則に
従順に従っていても、肝心な時に学校は子供を守ってくれないじゃないか・・・


ー 今目の前で眠り続ける娘は人権を奪われた状態であり、私達家族は無間地獄にいる ー