前回の続きです。
議員会館は神戸新聞をチェックしていた
2018年3月18日に神戸市とその近辺で娘と担当医師コラボの記事が掲載されてから間もなく、ある党派の神戸で一番大きな議員会館のようなところに電話をすることになりました。「娘を廃人状態にされたのに、どこにも責任を取って貰えないという気が狂いそうになるこの苦境を、議員の先生におすがりして何とかしてもらいたい!」
という、文字通りの駆け込み訴えです。
電話を取った女性に対し、こちらの自己紹介を簡単に済ませ最後に、
「3月に神戸新聞に載った寝たきりになっていた中学生の親です」と一言告げると、
「あ、あの方ですか!新聞記事読みましたよ。こちらでも話題になってました。娘さん、本当に大変でしたねぇ…」と、話が一発で通った感じになり、それからは対応がスムーズになりました。
ここで、新聞記事の影響力を実感しました。こちらがいくら長々と話しても、あの新聞記事を見た人なら、また、あの新聞記事を持参して見せれば、名刺代わりのような感じで、こちらがクレーマーでも怪しい物でもなく、本当に困っている立場の一市民であることを瞬時に理解してもらえるのです。
まさに 百聞は一見に如かず・・・
この党派の議員さんを頼ったのは、以前から脳脊髄液減少症患者会を通じて別の党派の議員さん達と顔を合わせる機会が多く、講演会や出馬の激励会にも何回か足を運び、、挙句の果てに、後援のために家族親戚の署名までたくさん集めて「協力」させてもらい、娘のそれまでの状態と経緯を書いた詳細な資料と、こちらの気持ちを込めた「お手紙」まで作成して直々に手渡ししたりもしたのですが、お1人から、「挨拶状」が来ただけで、個人的に力になってあげようという意志を示して下さる方は一人もおられなかったためなのです。
前述の、電話をした議員会館を通じての党派の議員さんは、予想外に全く違っ、て選挙期間目前という超多忙な時期であるにも拘わらず、その週の日曜早朝から自宅に訪問してきて下さりました。気さくな方で話しやすいのもありましたが、2時間ほどじっくり話を聞いていただきました。
「今はまだ、娘がこのような状態で、まずは病気治療を目指しますが、また公的機関に対して行動を起こすときにはお力をお借りすることがあるかもしれません」
ということをお願いしておきました。それにしても同じ議員でもこれだけ対応が違うのは何故なのか?と思うくらいの関わり方の違いでしたが…
話が逸れましたが、議員会館のようなところには必ず各種新聞が置いてあるので、目にしてられることが多いのだと、当たり前の事ですが再認識した次第です。
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教育委員会に再度連絡をすることになった
ブログで同様の境遇を経験されてきた、今となっては大恩人のお母さまからのアドバイスが発端となり、娘が現状で何とか少しでも教育を受けられるように教育委員会に相談してみようと思ったのは、新聞記事が出た翌月の事でした。
目の前の原籍校には、まだ重症化する前の時期に、「空き時間のある先生がおられたら、たまに勉強のペース作りをしたり話をするだけでもどなたかに来てもらえれば娘も元気が出ると思うのですが…徒歩1分で近いですし…」と、何回か遠慮がちに打診はしてみたのですが、こちらの、その切実さは全く伝わっていないようでスルーされた感が何度もあり、すでに、1年経過したこの時点ではこの学校に相談する気力が無くなっていました。
そのころ初めて、身体障碍者や病弱の生徒に対する特別な教育の形態があると知り、脳脊髄液減少症という、外部からは分かりにくいですが、脳が失調が全身に及ぶ本当に辛く苦しい難病にも、自治体によっては、それを適用されることがあると知ったのです。
学校に様々な理由で行けない子供の爲には、支援学級などの様々なサポート制度がありますが、その施設まで通わなければなりません。また、病気で通えない子の爲には、「院内学級」がありますが、それには「入院」が必要です。
娘の容態は、昏睡状睡眠と高次脳機能障害で、ほとんど眠っていて起きても何も人間らしい活動ができない状態が続いていたのですが、それでも入院はできないのです。
できるとすれば、児童精神科です。
精神科の方で発達障害や不登校の子供のための入院施設にも院内学級がありますが、こちらは、以前書きましたが、半年待ちの状態です。
なので、脳脊髄液減少症の子供は、こんなに重症化しても教育的サポートが受けられないのは、理不尽だとは思いながらも、制度がそうなのだから仕方がないと諦めていたのです。
でも、どうせだめも、一応教育委員会に問い合わせをしてみようと、緊張しながら、
特別支援学級担当の部署の番号をスマホの電話で押しました。
教育委員会も娘の記事を読んでいた
教育委員会に電話をするのは、ほんとうに久々でした。
娘のその時の状態で可能なのは、「病弱時訪問学級」のみでしたので、その可能性を打診しようと思いました。
優しそうな女性の声でまずはほっとしました。そして、いつものように、「3月18日付の神戸新聞の記事に載った東灘の生徒です」と名乗ったところ・・・
「藤田紅良々さんですね。存じております」
という返事が返ってきました。
そして、娘の病気とメンタル面の深刻なな現状と、そういう子供に対するサポートが他府県では行われているところがあるが、神戸市はそのような取り組みはされていないかどうか、ということを尋ねました。
その方は、しっかり話を聞いて下さり、最後に、「こちらで少し話し合ってみますのでお時間を下さい」ということにで話を終え、まだ望みは繋がりました。
そして、4~5日経過して、電話でその方からの返答を頂いたのです。
(続く)
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