今日から、学校問題に戻ります。
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新聞記事が出るまでの娘をめぐる対応
娘が学校事故に遭ってから約1年後に新聞記事が出るまでの教育委員会の対応はこちらです。
ほとんどが、保険課の窓口対応でしたが、丁寧にしてもらえました。 こちらが、大騒ぎしたり何らかの特別対応を求めたりしたわけではないため、特に不快な思いはしませんでした。でも、上層部の方は、構えてられる感じで、学校事故により大きな被害を蒙った家族への気遣いや思いやりを感じない冷淡とも取れる対応で、積極的に救済に乗り出すと言う事なども全くしてもらえませんでした。
学校長に至っては、中1の2月の事故の翌月に退任されたことも知らぬまま、新しい学校長も顔も知らぬまま、中3になりました。
つまり、一人の生徒が学校側に責任のある傷病のために1年以上教育を受ける事ができぬばかりか、昏睡状の過眠状態になるという大変な異常事態が発生していたというのに、学校責任者として私たちの前に一度も顔を見せることはなかったのです。
自分の子や孫がこんな目にあったら、この方達は果たして同じ態度を取るのでしょうか?人間としての冷酷さを感じずにはおれません。
新聞掲載にまつわる奮闘
2018年3月18日に娘と担当医師のダブルキャストで記事が組まれました。
驚いたことに、この新聞記事は、白黒のカラー無しであるばかりか当初ネット版に掲載されておらず、それに気づいたので記者さんに確認したところ、何日かしてやっとネット版に載りましたが、何故か、娘の部分はカットされていました。
後々訴訟になる可能性のあるものなので、新聞社もそのあたりは慎重になったのでしょうが、こちらとしてはもどかしい思いで一杯でした。
娘の写真も名前も消された電子版ネット記事はこちらです☟
電子版になった場合の記事の影響力は凄まじいものがあります。娘のその頃の知名度からすれば、仮に、実名で、写真入りで掲載されていれば、TOEICの時のようにヤフーニュースの全国トップ記事欄に入るまでにはならずとも、ヤフー地方版の上位に登場して、そこから一気に広がっていったことと思います。
こういうわけで、新聞からの周知は神戸市とその近辺に限定されました。それでも、新聞を購読されているご年配の方々や、作業場で偶然新聞を手に取ってこの記事を見たという方などとの繋がりを持たせていただくことができたのは、当時の孤立無援の孤独な状況にある私にとっては、この上なく有難い事ではありました。
私達被害者と加害者家庭と学校関係者以外の第3者にこの事件を知ってもらえ、文字通り「哀れで悲惨な状態」であった娘に心からの同情を寄せて頂くことは、何よりもの安堵感に繋がったのです。
しかしながら、このままでは「一過性」のものとしてまた社会に忘れ去られることになるのは目に見えていました。
「あぁ、将来性のある子だったのに可哀そうだな…」
という読後感を持つだけで、次の日には他の事象に埋もれて記憶からは消えてしまうことだけはあってはならない…
担当記者様の社会正義への熱意で何カ月もかけてやっとのことで掲載していただいたこの記事をブログで「拡散」して援護射撃をすることになりました。
ブログをこの新聞掲載の日に間に合うように準備するべく、この日のために3月2日からブログを始めていたことが功を奏し、拡散されず地方限定で埋もれてしまう筈だった記事が、息を吹き返し、白日の下にさらされることになりました。
「娘の心身と将来を潰されて、親としてこのままでは死んでも死にきれない」という一念で、傍らに昏睡で目を覚まさぬ娘を抱え、この時、私はほぼ一人で闘っていたのです。
しかしながら、当初の悲観的な予想に反し、神戸新聞の娘の記事は神戸のコミュニティーに深く浸透していることが後になってわかります。
(次に続きます)
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