滞在3日目になりました
一昨夜の二人の老人(84歳、90歳の兄弟)の、10年ぶりのサシでのよもやま話は、結局午前1時半まで続き、私もお付き合いすることになりました。
その後父親と隣の大きな和室で寝かせてもらったのですが、寝静まった頃父親が咳をすると隣の部屋の叔父さんがさっと現れ、空調を調節したり、父親に毛布をかけたりと弟の世話を3回ほどしに来られる気配をおぼろげに感じながらの睡眠でした。
翌朝8時頃に目覚めると、既に男2人が台所で楽しそうに朝食の用意をしておりました。なんと元気な叔父さん、90歳。
九州の男は、料理が好きな人が多いのでしょうか? 私の出番はなしでしたよ。
さあ、用意ができました。私、食べる人。「いただきま~す!」
近くのスーパーで買った卵焼き。子供のころから、家では甘い甘い卵焼きを食べていたので、これが当たり前と思っていましたが、京都の「だし巻き卵」とは見かけは同じでも別の食べ物のよう。甘い卵焼のルーツは九州だったと知りました!南の人は甘いもの好きなのでしょうか?
臺灣でも南部は、全て甘いです。台南のお茶も甘い、ソーセージも甘い、マヨネーズも甘い…初めはびっくりするけど、これがハマる~!
ここの叔父さんのお宅、とてもユニークなお住まいなので、少し紹介させて頂きます。
時間は前後しますが、初日に空港まで迎えに来てくれた息子さんご夫婦が、「あれは、凄かところよ…」と言っておられたので期待と恐れが入り混じった感覚でした。
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「こんなお宅見たことない!」の叔父さん宅の最寄りの駅はなんと・・・
最寄りの駅は2つあり、その一つが、なんとなんと、すごい偶然もあったものです‼
神戸の自宅で電車の乗り換え検索をする時、いつも気になっていたこの駅・・・
「住吉」なのです!
神戸の私の最寄りの駅もJR「住吉」なのです。
なんだかいきなりご縁を感じてしまう出会いですね。いつも検索ででてきちた長崎市の住吉駅は、路面電車、長崎電気軌道の住吉駅の駅でした。
長崎市は、路面電車が大活躍。子供の頃を過ごした京都市では、よく路面電車に乗たものですが、かなり前に廃止されてしまいました。
実際に乗ってみると、まるでタイムスリップしたような感覚に捉われました。
ここでは、一律130円なので、とても便利。原爆資料館や記念公園へ行くのにも簡単に行けます。
父親が音を上げた坂道
叔父さんのお宅は、 路面電車が走る大通りから徒歩で5分ほどの所なのですが・・・
これが、普通の5分ではないのですよ・・・大通りから少し入ると、坂が始まります。
坂が急になってきます。坂に慣れていない父親(頭部の眩しい方)は、既に6歳上の90歳のお兄さんのペースについてゆけなくなっています。
道はますます急に、ますます狭くなってゆきます! 父親の右手は手すりにかかっております。強健な身体でしたがこの1年で弱りましたねぇ…
私は、道ばたで綺麗なお花を見つけ余裕で撮影に興じます♪ おぉ、花びらが充実した綺麗なピンクのバラですね!
叔父さんが、曲がり角で、「疲れが脚に来た」父親の到着を待ちます。恐るべき健脚の90歳!
にゃオ~♬ 坂の上の猫を発見。何故か逃げないのんびりした子です
この階段を突き当りまで上がって・・・というのは冗談ですが、まだまだ上までお家がありますね。
水平方向へ移動。 狭いところをズンズン進んでゆきます
あと少し坂があります。まだ上ります。
もう少し歩いてやっと到着しました!父親にはかなりきつかったようですがやっと着いた叔父さん宅です。玄関には、入院中の叔母さんがかつて飾られたお花たちに迎えられます
そうして、いきなりず~と奥まで、長い廊下が目に飛び込みます。ここは、昔、長崎大学の学生寮をされていたのだそうです。4.5畳ほどの部屋が1階に10部屋ほどあり、突き当りが、叔父さん家族の住居となっています
階段を上がると、さらにお部屋が沢山が登場で、ウサギ小屋マンションに住む私には目もくらむような空間が広がります。
タイプスリップをしたような感覚の2階
一階同様の、下宿部屋10部屋が廊下の両脇に並びます。
誰も住まなくなって久しいので、畳も外してあります
窓から外を見ると、遠方の山の斜面に家がびっしりと建てられています。
神戸市の岡本や御影の山の手にも、崖っぷちにすごい建てられ方をしたお宅をが散見されますが、ここ長崎のお宅の見た目の危うさはそれを遥かに上回ります。
こんな感じの元和室もあり、心落ち着く間接的な照明のお色。少し直せば素敵なレトロのお部屋になりそうですね
突き当りには、10畳のお部屋が2つ連なります。隣のお応接間から写真で撮ると奥行きが出ませんが、団地間の畳サイズよりかなり大きいのです。こんな大きな空間が遊んでいるのは実にもったいない!
目線を上げると靖国神社の写真が飾ってありました。時代を感じます…
隣には、皇居を守る近衛兵隊だった眉目秀麗な遠い縁の叔父様。兵が足らず大東亜戦争で陸軍軍曹として出征され、シンガポールで英国兵に頭を横から撃ち抜かれて亡くなったそうです。
後に手元に届いた紫の風呂敷に包まれた四角い木の箱は空だったそうですが、生き残った戦友さんが後に尋ねて来られて戦死された時の事を語って下さったそうです。九州の五島列島の福江島に大きな石碑が立てられ、最後の状況も詳しく刻まれています。
私の直系のお祖母様のお写真。五島列島のご自宅にて。明治の女の凛とした佇まいで、生きてきた年月の重さを醸し出されています。
次回は、「長崎でのシュールで不思議なお宅に滞在中~〇〇編」をお送りします♪
(予告画像)
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