入院第7日目、11月4日(月)朝の福山の空です。さすがに疲れが溜まってきて、更新が昼になってしまいましが、空は青く澄み渡っています。
昨日の娘の様子
前夜寝付いたのが遅かったため、朝ご飯は食べずに熟睡。看護師さんに、昼食15分くらい前に血圧を測りに来てもらい覚醒させようという運びになりました。
ブラッドパッチ前は、午前中に起こしても覚醒不完全ですぐに寝てしまう状態でしたが、この日は違いました。血圧計測後は、自分で音楽を聴いたりしながら寝落ちすることはなく、昼食も時間通りに食べられたのです!
寝起きのため、全体の6割くらいを食べていたのですが、これは大変喜ばしいことでした。
治療前は、寝起きは全く飲めず、食べられずだったのです。普段は、午後の3時頃まで熟睡して、目を覚ましてから1時間ほどして、少し何かをつまむような感じで、実質1日夜の1食(それも非常に少ない)という生活が長期間続いていたのです。
訪問授業に来て頂く週2日は、開始時間の30分前までは覚醒不可能で、なんとか授業に座り、休憩時間にお菓子を少しつまみ、後は少しして夕食(量も少ない…という具合でした。こんな食欲状態ですので、栄養も何も考えず、欲しいと思い食べられるものだけを与えている状態でした。
それが、入院して治療開始後は、昼近くに起きていきなり、標準の6割も食べられるなんて、私たちにとっては夢を見ているような話だというわけです。
昨夜のお夜食のメニューはこれ
術後3日目の夜なので、ベッドを起こして、介助無しで初めて自分で食べさせました。
7分後にはこのとおり。写真だと生々しいので色鉛筆加工を施しました。
前日に続き、昨夜もこの通り、白米ご飯は少しも残さず完食、主菜のお魚と付け合わせも綺麗に食べるという、まだ信じられないような感動的な光景を目にすることができました。ここに来る前の、10倍以上(誇張無し)は食べています。
小鉢の大豆と野菜の煮物、そして、トマトとレタスのサラダですが、大豆はお腹が緩くなるので今回は、それ以外の野菜をつまみ、サラダは、生トマトが食べられない人なのでレタスを沢山食べました。結局、どちらも半分くらいは食べたと思います。
特記すべきは、ここ、福山医療センターの食事は、「おふくろの味と盛り付け」的な風情があり、とにかくお野菜料理が多い!品数もそうですが、盛り付けも豪快で、鉢に入っている量がものすごいのです。8分目までぎっしりつまっていて、普通の病院食の2倍のボリュームです(野菜鉢に限り。メインの肉などはむしろ少ないです)
ですので、この時少し残していますが、普通のレベルの病院食なら完食している量だと断言できるのです。
*因みに、この後、お夜食として、ローソンの「Lチキ」と「生チョコクレープ」を平らげていました。
朝食も昼食もヘビーな盛り付け
因みに、「おふくろの盛り付け」の この病院の朝食と昼食はこんな感じです。
昨日の朝のメニュー
ご飯も多い、卵も野菜も下までぎっしり。みそ汁など殆ど野菜で埋めつくされていると言っていいほど。
昨日の昼のメニュー
茄子の煮物、10個くらい入ってました。オレンジも他の病院の2倍の量!
まぁ、こういう具合ですので、小食の私が少しローソンで買い足すくらいで、娘と私2人分を養ってもらっている状態です。
白ご飯が大好物だった娘が復活の兆しか?
娘は、小さい頃から、食べ物の好き嫌いが激しい子で、何故か「白ごはん」が大好物なのです。何をおいてもまずは炊き立ての「白ごはん」に箸をつけ、おかずは二の次にしても白ご飯のお代わりをするという子でした。
それが、1年8カ月前の学校事故により、食欲が全くなくなってしまい、あろうことか、「白ご飯」は見るのもだめなくらい、口に入らなくなってしまったのです。
主要な炭水化物を摂れなくなってしまったため、事故後1年の間に身長が10センチ近く伸びたのですが(果てしなく眠り続けていて成長ホルモンの出る時間が長かったためだと踏んでいます)体重は、酷い時は8キロも落ちて、47キロあったのが39キロになっていました。
身長 158cm→ 167cm
体重 47kg → 39kg
といった具合です。一番食べなかったのは、事故後3か月で明石のM病院に入院中、あまりのつらさで完全に鬱状態になった時でした。
もう、あの時から1年半も経過しているのかと思うと、実に色々ありましたが隔世の感があります。
この、娘にとって一番辛い時期、私たちは、手を差し伸べてくれる人もいず、事件は発生3か月で既に風化し(隠蔽…)、暗闇に取り残されていました。
本当に孤独で孤独でいつも心に寒風が吹きすさぶような冬の心象風景の中で、どんどん悪化し昏睡状睡眠の時間が長くなる娘とコミュニケーションもろくに取れなくなり、たまに息があるかどうか、手や顔を近づけて確認するだけの日々になりました。
気がおかしくなりそうで、ある時は、キッチンでやけ酒を飲み、またある時は一向に目覚めぬ娘をこれ以上見ておられず、狭いマンションなので、「娘を視界から外すために」1日に何時間も近くのカラオケに逃避したりしたこともありました。
そんな日々の連続の秋、冬を越して、春に新聞記事に載りブログも始めたことで、「私たちは、満身創痍の瀕死の状態でまだ社会の片隅でかすかに息をしている」ことを周りにも認知されるようになり、今に至ります。
ご飯が食べられる娘の姿に幸せをかみしめる
そうして、全ての治療が八方ふさがりになった先月、はるばる福山医療センターで治療を受ける事を決意して、3日前にここでブラッドパッチをしてもらえました。
まだまだどこまで回復するか、それとも、また元に戻ってしまうかは全くわからないのですが、今の現実として、「娘が普通にお腹をすかせごてご飯茶碗を空にしている」という、食べ盛りの子供にとってはごく当たり前の姿を、長期間の絶望の日々を経て実際にこの目で見ることができて、例えようのないくらいの幸福感に満たされているのです…
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