Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

娘に「鬼母」のようなひどい事をして久々に人前で泣いてしまった爆弾低気圧の日(下)

 

前回の記事では、「病気に理解のあるお母さん」であったはずが、一瞬にして「鬼母」になってしまった経緯を、お恥ずかしい話だとはわかっていながらも、公にしてしまいました。 

今回は、モラハラをしてしまった側からの、説得力ゼロの自己弁護となります。

 

実際、この私がこんな事をするようになるなんて自分で信じられません。 娘の、誰が見ても可哀そうな状態を理解して受けれようとしているつもりが、自分の不安やイライラをぶつけてしまうことになり、自分自身が今の生活状況の中でかなり追い詰められているとわかりました。

 

誤解のないように言いますと、私は今まで、娘が学校へ行くことを渋った時に、一度も「頑張って行きなさい!」と言ったことはありません。

 

以前、息子が、子供時代の10年間を発見できなかった病気のために苦しみ、中学、高校とだんだん症状が悪化し、学校へ行ける日がほぼなくなってゆく過程でも、一度も、「学校へ行け」とか「頑張って勉強しろ」とか言ったことはなく、子供の不登校(病気による)には超がつく耐性を持つ親であると自負していました。

 

その経験は仕事にも生かされました。神戸に来て、心優しいあまりに不登校になってしまった中学生の家庭教師をしましたが、その子の本当に興味と適性のある進路へと送り出したという経験もあって、子供のしんどい状態を見ずに「学校!学校!」「勉強!勉強!!」!と闇雲に連呼する融通のきかない大人では決してないと、自他ともに認めている所であります。

 

娘に対しても、英語は野放しで、教育らしきことは何もしなかったという事は既に何度も触れましたが、勉強についてもうるさく言ったことはありませんでした。本当に、こんな立場にならなければ、そういった言葉は私の口からは出てこなかったと思います。

 

しかし、今のように、あまりの低学力のために、どこの学校の試験もクリアできない状態があるとして、もう少し、(無理をしてでも)勉強を頑張って学力をつけることで、入学できそうな所が少ないながらもあって、娘もそこに入って勉強したいと言う希望をもっているとすれば、傍から見ていて「頑張れ!」と言いたくなってしまうのです。

 

そして、現在、あまりの長期のブランクと、あまりの体調の悪さのために、一人で全ての教科の遅れに立ち向かってゆく元気など、とてもない娘にとって、週2回の訪問学級は、かけがえのない時間となっているのです。自分を心配し、助けてあげたいという意志を持った人がいることで、見違えるほどのエネルギーが沸き起こってくるのが見ていてわかります。

 

娘自身が一番それがわかっているので、週二回の授業をとても大事に思い、楽しみにもしているのです。でも前回の木曜の体調は、娘のこの「やる気」を完全に挫くものでした。

 

何とか目を覚まさせようと、

(お願いだから)頑張って起きて!」では娘の意識に全く届かなかったので、「支援学校に見捨てられたらおわりになるよ!」「あんたが支援学校に電話してよ!」とエスカレートしてしまったわけですが、これは全て私の不徳の致すところであり、娘に「ごめんなさい‼」としか言いようがありません。

 

昨年度は、冷え冷えとした孤独の中で、死んだように動かない娘が視界に入るたびに、心が崩れてゆきそうでした。しかし、今年度に入り、ブログを通じての応援・支援をして下さる方も現れ、決して一人ではないのですが、あまりにも難題が多すぎて、不器用な私には捌ききれず、ストレスがMAXになり、こんなおかしな人間に変貌してしまうのです。

 

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