Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

葬儀屋・坊主丸儲けを支える世代と冷静な若者世代の狭間で

 

 

先日早朝の感動的な母との別れから、葬儀屋、菩提寺に連絡し通夜、葬儀の手はずを整え、半日も経ずに、幻想的世界から現実的な世界に引き戻された。 

 

以前から、菩提寺を同じにする親戚が、「お布施」に関して、お寺の和尚さんと揉めたと聞いていた。何でも、葬儀に関する「お布施の額が少なすぎる」と、追加料金を請求されたそうだ。

 

親戚が渡したお布施は50万円ほど。ネットでの全国平均は47万円。一見、不足ない金額に思えるが、何が問題だったのだろうか?

 

通夜・葬式当日でのもめ事は嫌なので、事前に恐る恐る、渦中の和尚さんに電話をかけてみた。この和尚さん、年例は60歳くらいなのだが、超現実的にビジネスをされている印象を受けた。値段設定が妙に明確でわかりやすいのだ。

 

しかし、もともとのお布施の意味合いである、「お心のままに」「お気持ちで」という流儀からは大きく外れる気もするが、私にとってはこのように商品化されたサービスとしてのほうが、余計な気を回す必要もなく楽な気もしたのは事実だ。 

 

 

単純な話だが、値段設定は「戒名」の位の料金の差額だ。戒名は、ご先祖様の戒名の位と同等のものをつけるそうで、今回の母親の場合に提示されたのは、

 

☆55万円(~院~大姉という、「院」が付いたもの。祖父母はこのクラスだった)

☆25万円(~大姉)

☆15万円(~禅定尼)

☆5万(~信女)

 

という価格設定であった。それに、2日間の読経料やお車料云々を含めたセットが35万円という一定価格で加算される。よって、戒名料と読経料云々で合計40万~90万ということになる。

 

トラブルとなった親戚の場合、事前にこの金額を知らずに、全国平均のお布施を渡したが、それが、お寺の用意した戒名のランクにそぐわないものなので、追加料金を請求されたという事なのだろう。それにしても、恐ろしい金額を事前の申し合わせもなく阿吽の呼吸で渡すと言うのはいかにも危なげなので、葬儀の前に遠慮せずお寺に聞いておくべきだと思う。

 

そして、葬儀社に払う費用は、もっと高額になる事を忘れてはいけない。高齢老人の仏様の家族葬で、できるだけ簡素にしても、葬儀屋の勧誘に圧倒されて、財布のひもが緩んでしまうと、100万を軽く超える。京都で大手の葬儀社で、標準的な料金の所でこれである。

 

今回の失敗は、母の通夜葬儀を、お寺の和尚さんの都合で三日後にしてしまったことである。これにより、遺体保管料金が8万4千円も上乗せされることになった。

こんな事なら菩提寺の和尚さんの言いなりの日程ではなく、母を何日も待たせるのも可哀そうだし、こちらの希望日程を優先して翌日のお通夜、翌々日の葬式ということにするべきであった。葬儀社のほうの和尚さんに代理をしてもらっていたら、読経料も全然違い、20万近く安くなっていたのにと、悔やまれる。

 

家族が亡くなり、疲労と焦燥感で判断能力が鈍ったところの判断ミスである。事前に調査をしておく必要があったと反省することしきりである。

 

しかし、うちのお寺は浄土宗なのであるが、金額は、例えば、日蓮宗という定額料金の宗派に比べ大幅に高い。こんな、集金システムと化した現在のお寺の在り方を知れば、仏教を貴族だけのものから民衆にも広げた法然上人が嘆かれはしないだろうか・・・

 

2日間、数時間ずつのお勤めで、35万円、漢字の名前を付けるだけで数十万って、誰がどう考えてもおかしい(おいしい)だろう。夜勤も含むきつい労働で、月16万という甥などが聞いたら卒倒するような金額だ。

 

親の世代はこの価値観から逃れることはできず、今回は否応なくこの変な価値観のなかに放り込まれてしまったのだが、10代、20代の若者世代の甥や息子は、「こんなアホらしいお金の使い方絶対しない」と、宣言している。最近は「結婚式」も挙げない場合も全く珍しくないようだ。形式にとらわれないというより、本当に余裕がないというのが実情のようでもある。

 

彼ら曰く、「仏教を勉強する学生時代から外車を乗り回し、後に金回りが良くなると祇園やその他各地のキャバクラで派手にお金を使っているお坊さんは沢山いる事は有名」だと口を揃えたように言う。

仮にこの話が本当だとすれば、老人が、自分の最期を飾るために年金からこつこつと貯め、お寺に感謝の気持ちで収めたお布施を私物化し、こんなことに使っている不届きな生臭坊主がいるのはやりきれない話だ。

 

中には、真面目に精進され、一般衆生の救済と社会の安寧のために活動されている方もおられるだろうが、少なくはない俗物和尚のために、人生の最期を飾る行事に曇りがかかる気がするのは残念で、現在当事者である身としては複雑な思いである。 

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