娘が学校事故に遭い、1年間、意識朦朧の寝たきりになったことにより、私が一番こたえたことがある。
それは、ライフワークとも感じていた、「娘の成長を見守り、娘が才能を極めた姿をこの目で見る」という、親としての無上の喜びが、事実上潰されてしまい不可能になったことである。
器用貧乏の「私磨き」への執着が消えた時
私は、実に中途半端な器用貧乏を絵に描いたような人間である。
昔から勉強もスポーツもそつなくこなし、苦手な事は特に見つからない。
好きな語学については、「英語はそれほど高度で専門的でない仕事ならこなせる」「日本では全く使い道のない教養言語のようなフランス語は1級の資格」「中国語は我流のブロークンでたまに華僑に間違えられることもある」というものであるが、本当に極めた1流の人たちを前にすると恥じ入ってしまうレベルである。
語学に限らず、何一つとして、自分のものになったという感覚がないとう、自分的には寂しい人生とも言える。
また、無条件に憧れる「音楽」については、小さい頃の素養が不十分で、ピアノも大人になって死ぬほど練習したが、「自分の弾きたい曲を楽しんで弾ける」など程遠い絶望的なものだ。異常に小さな手と短い指という、楽器演奏には絶対的に不利な贈り物を意地の悪い神様から送りつけられたことも不利な環境に追い打ちをかけた。
不幸にも、「子供の内面や興味を育てる事には全く関心がない」両親のもとに生を受けたため、成育歴上の小さくはないハンデを背負い、子供ながらに自分が逆境の中に生きていることを感じとっていた。
それでも自分で自分に投資できる年齢になってからは諦めずにそこそこ頑張ってきた。
自分が向上したい、自分磨きが大好きな質であったため、子供を持つことになるぎりぎりまで、「自分」への時間や金銭の投資は惜しまなかった。
時は流れ、子供を持ち、その子供たちの、集中力が凝縮されたときの恐ろしいまでの吸収力と、日々の驚異的な成長を目のあたりにして、度肝を抜かれ、文字通り虜になった。
ここで、自分への執着が完全に消えた。
(他の人の事はわからないが、私にとって、これが、親になったのだということを感覚的に把握した契機となり、それまでの自我に捉われた人生との区切りとなったと感じている)
もう使い尽くして、残りカスのような伸びしろしかない自分の潜在能力の育成には全く興味がなくなった。自分に時間やお金をかけることがアホらしくなってしまったのだ。
そんな私の目の前には、自分には最後までできなかった、「何かを極めるということ」が、いとも簡単にできてしまいそうな小さく無垢な表情があった。
そして子供の心に種を撒き始めた
そうして娘の小さい頃に、色んな種子を撒いてみた。英語、水泳、ピアノ、知育、体操、くもん、バイオリン、まだあったかもしれない。
どこの家庭も、ここの部分は似たり寄ったりで大差はないであろう。
少し経つと、そのうちのいくつかは、「適性の芽」であることを、言葉もおぼつかない時から娘は身を以って雄弁に示した。
そこで、ダメなものは間引き、残った選りすぐりの幾つかの芽に、毎日水を与え、肥料を施し、確実に大きく高くなるまでは、悪い雑草や害虫がはびこらないように気を配った。
そうすると、そのうち2本の「適性の芽」は、特に素晴らしい成長を見せ、しっかりした幹を成し、力強い枝葉を張り、唯一無二の不思議な香りの漂う魅惑的な蕾をつけた。
それは、家族のみならず、周りの人間をも惹きつけるものであった。
皆、その二つの蕾がどのような色彩の、どのような大きさの美しい花として開花するかを心待ちにした。
各々の心の中にある期待への、何の不安も疑いもなく・・・
(続)