Friendshipは船と港 ~藤田くらら 小6でTOEIC980点までの軌跡~

小学6年でTOEIC980点を取った女の子のお話。中学1年での、学校体育時の事故が原因で「脳脊髄液減少症」を発症。寝たきりから「復活」の兆しが…

暗澹たる想念の正体

先日、娘の全日制高校進学についての絶望が、カウントダウンになってきたことを記事にしていた時、私の心はどん底に向かって急降下中であった。

 

 

 

娘は娘で、「自分が、当然と思っていた高校進学ができなくなるかもしれない」という現実を受け入れることが必要になりそうな悲しい予感で気持ちが不安定になっていた。

それ以前は敢えて、未来予想の心の前には信号を立てず、青でも黄色でも赤でもない気持ちで、目の前の問題解決にいそしんできた日々であった。

 

しかし、気が付いてみれば、夏休みも7月が終わり8月に入ってしまった。外を歩いていても、レジャーに、習い事に、部活に、塾の夏期講習にと実に密度の濃い日々を送っている子供たちの様子が嫌でも目に映る。

きらきらした笑顔が眩しすぎる。

 

他校へ試合にでも行くのであろうか、体操服の集団が皆で楽しそうに道を歩いているのに出会う時、進学塾の前に無造作に置かれた自転車の群れが目に入る時、「あぁ、この集団の中に娘が存在していないのだなぁ」と、中学生としての正常な人生を送る事を阻害されている現実を嫌でも思い知らされてしまい、思わず目を背けてしまう。

 

娘はと言えば、家の中のベッドの上で、一日の殆どを眠って過ごし、内容スカスカの毎日を過ごしす羽目となっている。

病気なので仕方がないし、焦れば回復も遅れることは医師にも釘をさされており、他の患者さんを見ている限り、それは事実であることは感じているので、ただベッドの上で長時間静止している姿を視界に入れるたびにため息をつくだけの毎日である。

 

不可抗力的にこんな毎日を送ることになってしまったのであるが、これが私にとっては実に暗澹たる想念を持つことに繋がってしまった。

 

誤解をされるといけないので、まずは、断っておくが、全日制高校については、結果として行けない事になってもそれはそれで構わないと思っている。

「周りの子供が行っているのだから、同じようにしなさい!」という母親像とは、最も離れた所にいる人間だと自他ともに認める存在であることは長年自覚している。

 

或る意味、自由すぎる方針を以って子供を育ててきているので、そこのところは強調しておきたい。

 

また、事実として、学校から離れても、素晴らしい人生を歩んでいる人たちは世間にゴマンといるのも知っている。海外では、「ホームスクーリング」をしながら、世界を旅し、家族全員でかけがえのない体験を享受している一家にも会い、「子供を学校に行かせるだけが教育ではないのだなぁ」と実感した。

 

また、我が家の場合、何の因果か、息子の場合も、原因の特定に10年近くかかった病のため中学校の授業は半分も受けられず、病気の最も重かった時期が、高校受験に重なり、やり残した教科や分野がいくつもある状態でそれを迎えた。

入学後の通学など、目に見えて不可能なので、小さい頃から憧れている学校を記念受験だけして、通信制の高校に行って病気治療に専念しようと思っていたのだ。

 

なので、私の人生においては、2度に渡って子供が病気により潰され、子供の意志に反して正常な形で進学に向き合えないという憂き目を見ることになったのである。

慣れてしまったと言えばそうなのだが、全日制に行けない事はが私にとってはそれほどの悲観の対象ではありえない。娘にとっては、非常に心の折れる事実であることには変わりはないだろうが。

 

では、何を悲観しているのかというと、言ってしまえば、私の子育てをする上での長年の夢が破れてしまったという事実である。

その夢とは、「一芸を極め、それを一生の伴侶とできる人間」の誕生をこの目で見る、というものだった。

 

今も私の周りには、何かを極め、明らかに私とは違う意識レベルでこの世界で生きてゆくことを謳歌されている人が何人もいる。

 

その方たちは明るく力強いオーラを纏い、(霊感がないため実際には見えないが、周りの空気感が違う)、生活上の少々の不都合な問題にも存在が揺らがず、動じない。一切のネガティブさや人に対しての悪意を持たず、幸福を引き寄せ、周りの人も同じような幸せ色に染まってしまうのである。

この絶対的安定感を支えるものとして、思うに、その人たちが極めた何かを持っておられる気がするのだ。

 

子供にも、このような「自我の一部となるような、生涯を通じて自分を支える伴侶」となるような何かを見つけ、それを極めてほしいと思った。私には既に、求めても物理的に手に入らないものだ。

 

そうして、いくつかの種を撒き、適性の芽を見つけ、それそ育て見守ってゆくことが、自分にとって、かけがえのないライフワークともいえるものとなっていた。

多くの親がそうであるように・・・

(続)

 

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