心からの謝罪の一言のがあればこのページは存在しなかった・・・
そして、始めに言っておく。責任を感じるべきなのは、加害者となった生徒ではなくその周りの大人達である。
もう一人の当事者
2番目の「当事者」は、結果的に、娘とその家族を地獄に突き落とす一撃を加えることになった生徒及びその関係者である。
この生徒は、まさか故意にしたのではないと思うが、普通は、ボールを蹴りながら全速力で走っている人間に、後ろから近づいて来て、いきなり視界に入らない所から足元に横に足をだしたら、普通のこけ方ではすまないことが中学生にもなってわからなかったのだろうか?という疑問は残る。
実は、かつて小学校高学年の時に、この生徒が軽い冗談のつもりでした「あること」で、娘が危うく首の骨を折りかねない事態になったことがあり、娘は憤慨してその場ですぐに怒ったが、相手はよくわかっていなかったらしい。この報告を帰宅しても怒り冷めやらぬ娘から聞いていた。
今回も、事故当日帰宅するや否や、「(加害生徒名)に体育の時、足をかけられて、空宙を飛んで落ちて、腰がすごく痛くてまともに歩けないねん。でも、その後に、ひどい態度を取られてそっちの方が頭に来てる!」
と、切々と娘が転倒後にその生徒から受けた信じられない冷淡な対応を話してくれた。
おそらく、故意とか悪意ではないのであろうが、「こういう事をするとどんな危険な結果になるのか」とか、「自分と相手の置かれている立場や状況」を察知するのが苦手なタイプなのだろう、とその時は考えた。
しかし、それは単に「思考の癖」でありそこに悪意があるわけではないので、この生徒のした危険行為やその後の態度を責めたところでそれは不毛である。
こういういきさつがあるが、当初は、性善説を取って、私も娘も、この事故における危険行為のことは一切不問にしようとした。
こんなひどい顛末になることとは思わなかったので、「わざとじゃなかったのだから、本人もご両親もあまり、気に病まないように伝えて下さい」と教員にわざわざ頼んで伝えてもらった。それでも謝罪は当然来ると思っていたが・・・
私が加害者の親になったとして、「髄液が漏れるほどの重度の打撲を負わせて相手を通学不能の病院送りにした」と知らされたら、ショックで気が動転し、子供を連れて相手のお宅にすぐに伺い、子供と一緒に土下座くらいしてまずは謝罪する。
なので、おそらく、相手の両親もそのくらいの責任を感じ、絶望のあまり混乱されているかもしれないと考えた。
ある意味、こんな大変な事故の加害者となってしまった相手を気の毒に思い、同情まで寄せていたのだ。
お人よしにも程があると、今は恥ずかしいくらいだ。
加害者側の態度の急変
担当教員が、事故の聞き取りに加害生徒家庭に行った際、この生徒は、「自分が転倒させたことで娘が学校に来れなくなっているのではないか、と気になっていた」と正直に話してくれた。そして、事故後の態度についても反省をしていたということだ。
ここまではいい子だ。隠さず、きちんと話してくれてありがとう。
また、母親の方も、「うちの子にできることがあるならなんでもお手伝いさせてもらいます」という様子だったそうだ。
そして、後で教員から、「保護者の方がはすぐにでも謝りに来られるでしょう」という報告を受けた。
なので翌日、飛んでこられるかと思い、「加害者側になってしまった多大な心労をお慰めしよう」と、お茶とお菓子も用意していたが、来ない。その次の日も、次の日も・・・・
これはどうしたことだと訝り、教員に電話したら、「おかしいですねぇ?すぐにでも飛んで行かれる感じでしたが」と不思議がっていた。
そうして、こちらが、「何か意味がわからないが、もう来ないようだな」と諦めかけた5日目くらいにやっと母親が現れた。お友達としての「お見舞い」を渡され、事故の状況を私から詳しく聞かれた。
私は、事故の状況を詳しく説明した。「普通の転倒ではこんな髄液漏れは起こらない。足をひっかけられ、吹っ飛んで腰から落下して、胴体部分に交通事故のような強い衝撃がかかった」「強い痛みから、その夜から気分が悪くなり、翌日に起立性頭痛が発症した」「その他にも以前は一度もなかった症状が色々出ている」等々。
しかし驚いたことに、ここまで事情を聞いても、顔色も変えず「ごめんなさい」も「すみません」も「申し訳ありません」もない。ここで、おかしいと思った。
「何故この人は謝らないのだろう?」
そこで、今度は、相手が否定する余地のない転倒による重度の打撲のことも話した。患部の大きな青あざの画像も見せたもしれない。「打撲も重症で、今でも寝る時も痛くて不自由しているんですよ」と伝え、「ごめんなさい」を引き出そうとした。
しかし、これにも無言でスルーされ、やはり、「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ございません」は一切出て来ないので確信した。
--- この母親は、いかなる謝罪の言葉も口にする意志がない --- ということを。
そして、最後に宣(のたま)うた。「うちの子が原因かどうかは別として、友達だから、こちらが入っている保険を使ってもらってもいいよ」
そして、私は頭を下げて「ありがとう」と言ってしまった。
「被害者が加害者に感謝の意を表す」というわけのわからない展開となったが、高額な自費治療分がそれで済むなら事を荒立てない方がいいと悔しさを呑んで頭を下げた。
その後、自費治療分にこの保険を使わせてもらおうと思ったが、「学校の授業中の事故では出ない」という保険会社の回答があり、結局は使わずじまいだった。
加害者家庭は謝罪もする気がないのだから、当然治療費を出してくれるはずはない。だんだん悪化してゆく娘を目の前にして、こちらが全額を支払うしかないではないか・・
その後もこの母親は、加害者の保護者という立場ではなく、お友達の母親としてこちらに接しようとしてきた。それは私には理解し難く耐え難いものであった。
その後の加害者側の行動
事故後、しばらくして、一度、この生徒からの手紙が来た。それは、「こかしてごめんね。痛かったよね。後の態度も悪くてごめんね」という内容で、敢えて、「こかした事」に限定しその後のより重大な事態には触れようとしない、大人が検閲したような、不自然な文面である印象を受けた。しかし、事態は、「こかしてごめんね」の範囲を超える惨事になっているのだ。
それでも、その直後、甘すぎる阿呆(アホウ)の私は、この生徒と娘とのギクシャクした関係を懸念して「娘が寂しがってるから話しにきてよ」と、わざわざ家に呼んだ。
しかし、これは失敗だった。この生徒が帰った後、娘は怒りながら私に話した。「なんで、(加害生徒名)は、自分のした事で私が寝たまま起きられないのを見て、一言も謝らないの?」と。娘にとってそれはとても不自然なことに思えた。
加害者にこちらから歩み寄る事で、かえって被害者である娘の方を傷つけてしまう結果となったのだ。2人の間の会話は聞こえなかったが、ひとことの「ごめん」もなかったらしい。
娘の言う、「なんで友達をこんな目に合わせて、謝らないのか理解できない」の答えであるがおそらく「絶対に謝罪の言葉は口にするな」と、大人達に口止めされていたのだろう、と見ている。
結局、加害者家庭からは、
- 脳脊髄液減少症の発症についても何もなし
- 長期に渡る、地獄の闘病となったことに関しても何もなし
- かかった自費治療分の支払いに関してはスルー
- 娘の人生の積み重ね(バイオリン・英語)を崩壊させたことについても何もなし
- 私が仕事に行けず収入が激減ったことについても何もなし
- 中学に行けず、勉強もできず低学力になったことについての何もなし
- 希望の進学ができなくなったことに関しても何もなし
- etc...
今に至るまで、加害生徒及び保護者からは、一人の頑張って生きてきた子供の過去・現在・未来を一瞬にして奪い、親族を不幸のどん底に突き落としたことに対して一言の詫びも受け取ることはなかった
ここで言っておくが、こちらは、「情」で動く人間。
心からの「ごめんなさい」があれば全て水に流し赦した。
しかし、徹底した謝罪拒否の姿勢を見せられ、これだけ娘本人と家族の気持ち踏みにじられてはこちらも仏の顔ばかりを見せられない。それでは娘に申し訳が立たない。
なぜ、加害者側のこんな無責任な態度が可能になるかであるが、それは、脳脊髄液減少症の泣き所である、被害者に大変不利な診断と訴訟になった際の司法のありかたがあるからである。